★個人ウォーク 「稲荷山と深草散策」 12/7
家内の定期検診(術後6ヶ月毎)に付き添った後は、足の鍛練と健康維持を兼ねて稲荷山へ歩きに行きました。
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藤森からスタート。深草地区の、源氏物語33帖「藤裏葉」に登場する宝塔寺、京都名水の一つ・茶碗子の水(井戸)、伊藤若冲の墓がある石峰寺などを散策しながら、JR伏見稲荷駅前に出ました。駅前の 伏見稲荷大社・一番鳥居 です。
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一番鳥居の右手に設置されているダイナミックな狐像。黒ずんだ胴体、後ろ脚を高く上げた姿、口にはタワワに実った稲穂を咥え、尻尾の先には火焔付宝珠が金色に光っています。境内には何千体もある狐像ですが、入口と云う最も好立地にあり、カメラを向ける人も多い、人気のキツネです。
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以前にも紹介しましたが、世界最大の旅行口コミサイト、アメリカのトリップ・アドバイザーが2014年に、外国人に人気の日本観光地・第一位に選んだ「伏見稲荷大社」。以来3年連続、日本観光地のトップの座を保っています。日本の神社ながら、今や7割近くが外国人です。
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京都の祇園界隈では、一般人が舞妓姿に変装した「変身舞妓、観光舞妓」をよく見ますが、最近では伏見稲荷でも、レンタル和服が大流行していて、着替えて和服体験をしている外国人が沢山目につきます。草履では歩きにくいのか、運動靴を履いたままの外人さん(右)も多いです。
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お山巡りはこの 千本鳥居 の入口から始まります。一周約2時間のコースです。今日は雑学的お山巡りです。
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約30分で 四ツ辻 に到着。京都市内南部と西山山系が望めます。ここから山頂を一周します。
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四ツ辻→三ノ峰→二ノ峰→一ノ峰(稲荷山頂上)→薬力社→眼力社→四ツ辻へと廻るのが一般的ですが、今日は逆回りでお山巡りをしました。四ツ辻から30分強で、一ノ峰(上之社)・末広大神 に到達です。参拝所では長々と「般若心教」を唱えている二人連れがおられました。明治以前の神仏分離が行われる前の、神仏習合時代の信仰が、今だに残されているのを見ることができます。
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一ノ峰・上之社に建つ 末広大神の遺蹟 です。ここが稲荷山の最高地点(標高233m)です。一般的に「稲荷山の最高峰」と云うのは、点名を西野山と云い、ここよりも6m高い標高239mです → こちら
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二ノ峰(中之社)付近では、まだ紅葉が見られました。
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境内にある鳥居の数はどれくらいでしょう? 鳥居の数は、稲荷山も含めて約1万基といわれていますが、
正しい数は稲荷大社も把握していません。人が通れるサイズの鳥居の数は、2010年に調べた人によると 3381基だったそうです。ちなみに千本鳥居の数は、建てられるスペースが限られていますので、800基ほどだそうです。境内の鳥居は、上記写真のように意外と安い値段で奉納できます(但し設置場所によっては値段が高くなります)。1号の大きさは直径3cmですので、8号鳥居は直径24cmの丸太を使用した鳥居と云う事になります。
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鳥居奉納を申し込んでも予約者が多く、古い朽ちた鳥居と入れ替えることが多いので、申し込みから4-5年は待たされるそうです。朽ちた鳥居は取り外されて、新しい鳥居が建てられるよう、次の建立者(予約者)の名札が置かれます。
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古い鳥居が結構多いので、実際はもっと待たされるでしょうね。歩きながら建立時期を時々チェックしてみました。殆どが平成のものですが、私が目にした一番古いものは昭和48年でした(しっかり探せばもっと古いのもあるでしょう)。写真右は昭和60年建之のものです。ちなみに「
建之」の読み方は、「けんし」「こんし」「これをたてる」「これをたつ」‥どれもが正しいのですが、「之(これ)を建つ」と読むのが本則と聞いたことがあります。ヒマな人は建之時期の古いものを探しながら歩くと、辛い山歩きも楽しくなるかもしれません。
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三ツ辻からは千本鳥居を通らず、北周り(裏参道コース)で本殿に戻りました。途中にある珍しい 間あき鳥居 です。
真っ二つに断裂した鳥居です。上が開いていることから、「運がひらける」「出世できる」といった意味合いがあるそうで、出世門とも云われています。
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JR伏見稲荷駅に戻り、帰路は
直違橋通り(すじかいばしどおり、旧・伏見街道)を歩きました。カトリック伏見教会 です。関ヶ原の戦いの後、家康は壊滅した伏見城を再建し、ここに移り住むと同時に、諸大名にも城下に邸宅を移転させます。イエズス会のオルガンチノ神父は、伏見が日本の中心地となるのを見て、ここに教会施設を置きたいと願い出ます。オルガンチノと家康との面談に立ち会った本多佐渡守正信はキリシタンには好意的で「来世があると教える宗派には便宜が与えられるべきであり、すこぶる神聖であり道理にかなっているキリシタンは特にそうである」と家康に助言し、直ちに許されました。1602年3月30日、新築された聖堂で初ミサが行われました。その後、いつしか教会は取り壊され、この辺りは、明治以降は旧陸軍の第16師団が置かれました。戦後の1949年に再び教会が建てられ、聖母女学院が創立され、近隣には京都教育大学や竜谷大学も進出してきて、軍隊の町から教育の町へと変わりました。
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教会と隣接する、京都聖母女学院 です。クリスマスの飾り付けがなされた門扉の向こうに見えるレンガ造りの建物が、現・聖母女学院本館で、旧・陸軍第16師団の司令部庁舎です。旧陸軍の師団関係の建造物が現存しているのは、日本中でこの第16師団の司令部庁舎だけです。
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直違橋通りに今も営業している銭湯「軍人湯」の看板です。将校や兵隊がよく入りに来たと云われています。終戦直後、進駐軍の目もあり、改名を検討されたそうですが、復員兵に止められ、「戦争を忘れないためにも、名前はずっとこのまま」と店主は思いとどまったそうです。また、伏見の酒造産業が興隆したのも、この第16師団のおかげで、月桂冠、金鵄(キンシ)正宗、英勲(エイクン)などの、栄えある、あるいは勇ましい銘柄が育ったのは、陸軍御用達を競ったせいでもありました。本日の歩程は 7.8km でした。