一昨年の11月に心臓病で倒れた親友ですが、手術の経過も良くて、昨秋頃からリハビリ・ウォークを開始、5km程度なら問題なくウォーク可能となったそうです。1年数か月ぶりに、彼の方から、ウォークの誘いがあり一緒に行くことにしました。木津川市の隣りの精華町の「いごもり祭」を見物する夜間ウォークです。
★せいか小さな旅 「番外編・行事巡り:いごもり祭」 1/10
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集合場所の「祝園」駅です。京都の難読地名の一つで、「ほうその」と読みます。第10代・祟神天皇の時代、武埴安彦(たけはにやすひこ)が反乱を起こしますが破れて、朝廷軍は沢山の兵をここで斬りハフリ(斬り散らし)ました。そこで「波布里曽能(はふりその)」あるいは「羽振苑(はふりその)」と呼ばれました。また多くの死者をここで葬ったので「葬園(はふりその)」とも呼ばれました。やがて、「はふり」が訛って「ほう」となり、「祝」の字があてがわれました。この地で斬首された武埴安彦や兵士の魂が亡霊となって柞ノ森(ははそのもり)に留まり、人々に恐れられていました。この怨念を鎮めるため、奈良時代、称徳天皇の勅命により、春日大明神を勧請して創祀されたのが祝園神社であると云われています。
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当日の昼頃、某店舗で山友達のH氏(精華町在)に遭遇。いごもり祭に誘ったらOKとのことで、都合3名で参加することになりました。夜の18時に祝園駅に集合。受付のあとガイドさんから30分程いごもり祭の説明を聞き、18時30分暗闇の中を祝園神社に向けてスタートです。写真は途中の「いずもり」と云う空き地に建てられている「武埴安彦(たけはにやすひこ)破斬旧跡」の石碑です。ここで武埴安彦の首が落とされ、明治の頃までは巨木があったと伝わっています。
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「いごもり」は「忌籠り」や「斎籠り」とも書き、その昔は、一定の場所に物音一つ立てずに籠り、外部との接触を断つのが習わしでした。現在では氏子さんの中では唯一軒だけが、その習わしを守っておられるそうです。玄関に筵(むしろ)を張り、戸の開閉音を立てないよう筵から出入りされるなど、外部に音が漏れないようにして神事に服されています。
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祝園神社参道に入ります。
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参道には屋台が数店出ていて、近所の子供たちが沢山集まっていました。
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神社境内に入る手前には、いごもり祭名物の「とうがらし汁・とうふ汁」の屋台が社務所さんによって出店されていました。私たちは、まずは無料のお神酒をコップでしっかり頂き‥
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そのあと寸志奉納をして、「とうがらし汁」を頂きました。噂通り、一口目は滅茶苦茶辛かったのですが、二口目には慣れてしまって美味しく頂きました。これを頂くと身体が温まり、風邪をひかないとの言い伝えがあるそうです。
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「いごもり祭り」は3日間行われ、初日は怨霊を鎮め神を迎える「風呂井の儀」が、二日目は大松明を担ぎ、境内より約1km先の田圃の中に小さく残された「幸の森(こうのもり)」と呼ばれる場所まで行って五穀豊穣を願う「御田の儀」が、三日目は「綱曳きの儀」が行われます。最初の二日間は、夜間に粛々と行われる祭です。本日は2日目の「御田の儀」で、大松明をかついで幸の森の神田に行き古式にのっとった農耕神事の日ですが、この神事は見学も撮影も出来ませんので、大松明だけを見学する企画です。境内・拝殿前で大松明を待つ人達です。
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19時30分過ぎ、宮司が本殿内の火きり板で起こした火が、拝殿に移され、松明に点火されました。
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周囲の電灯はすべて消されます。拝殿に張り巡らされたテントに浮かび上がった燃え盛る松明は‥
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やがて、拝殿から出されて、一旦境内の中に立てられます。
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参道の屋台もすべて明りが消されて、松明行列が出てくるのを待ちます(真っ暗な中でのフラッシュ撮影です)。
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火の粉を撒き散らしながら、大松明が担がれて境内から出てきました。
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大松明の後から四方を布で囲まれた神様が、神主さんに守られながら、幸の森へと御神幸です。それを見送って、ウォークは自由解散となりました。再び、暗闇の中を歩いて祝園駅まで戻った私たちは、冷えた身体を温めるべく、近くの居酒屋へ入りました。私たち3人はこの1年、いずれも怪我や病気を体験した身なので、
お互いの回復を喜び今年の健康と健闘を誓い合いました。身体も温まり気がつけば、もう22時で、あわてて店を出て帰宅の途につきました。