いつものように、朝起きてから天気の良いことを見定めて、近郊に歩きに行きました。前回(昨年11月末)の個人ウォークでは、佐保路から佐紀路の途中(平城宮跡)までで終わりましたので、今回は佐紀路の残り部分~平城宮跡から秋篠寺まで~の陵墓(天皇や皇族のお墓)や寺社などをのんびりと巡り歩きました。
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平城宮跡・第一次大極殿。平城遷都1300年にあたる平成22年(2010)に復原・完成しました。大極殿の規模は、正面約44m、側面約20m、地面からの高さ約27mで、直径70cmの朱色の柱44本、屋根瓦9万7千枚が使われています。大極殿は、天皇の
即位式や、外国使節との面会など、国のもっとも重要な儀式のために使われる建物です。
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平城宮跡の裏手(北側)に回り込み、佐紀神社 に立ち寄り、西方向の佐紀古墳群へと足を進めます。
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第51代・平城(へいぜい)天皇・揚梅陵(やまももりょう)。考古学名は市庭古墳。平城天皇の父親は第50代・桓武天皇ですから、もう平城京ではなく平安京になってからの天皇なのに何故ここに? 平城天皇は、在位僅か3年で嵯峨天皇に譲位したあと、京都から奈良に移り住んだのでした。しかし、まだ疑問があります。
市庭古墳は平城京の建設以前から存在していた古い古墳なので、平城天皇のために造られた墓でないことは明らかです。このため考古学的には、これを平城天皇の陵墓とするには否定的な意見が多いのですが、もし宮内庁の治定が正しいとするならば、平城天皇には新たな陵墓が造られず、既存の古墳に追墓されたことになります。
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「これが有名な 孝謙天皇陵 や」なんて、歴史に弱い家内に説明しますが、全く分かってないようなので、「以前、佐保路にある聖武天皇陵と光明皇后陵に連れて行ったやろ。あの二人の間に生まれたのがこの天皇(女帝)なんや」と。いちいち説明しないといけないので疲れます。
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天皇陵の前まで来て、看板を見せると‥「孝謙天皇なんて書いてへんで」と言います。エッ?と思わず覗き込みますと「称徳(しょうとく)天皇・高野陵」とあります。思いがけない突然の家内の反論に、
「エッ?ここが孝謙天皇陵のはずなのに」と思うのですが、頭がパニクッテしまい、支離滅裂状態となり、何も思い出せず、次の言葉が出ません。「このあたりは、陵墓が沢山ある所なので間違ったかも?」と適当に取り繕って、次の陵墓に向かいました。
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第13代・成務天皇陵・狭城盾列池後陵(さきのたたなみのいけじりのみささぎ)。考古学名は佐紀石塚古墳と云い、前方後円墳です。
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日葉酢媛命陵(ひばすひめのみこと)・狭木之寺間陵(さきのてらまのみささぎ)。第11代・垂仁天皇の皇后のお墓です。
考古学名は佐紀陵山古墳と云います。垂仁天皇陵は西ノ京・唐招提寺の北方にあり、皇后の墓とはちょっと離れた場所にあります。佐紀古墳群は宮内庁がしっかりと整備を行っていますので、絶好の散策路なんですが、それにしても孝謙天皇陵は何処へ行ったのか?いやいや何処にも行くはずはないと、もう一度、元の場所へと、グルッと廻り込みました。
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先ほどの 称徳天皇陵 に戻って来ました。宮内庁の看板にも、この石碑にも間違いなく「称徳天皇高野陵」と書かれています。段々ショックから目覚めて、「やはり孝謙天皇陵はこれだったに違いない」と思い出し、周囲を探して見ました。
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ありました。陵の一番端(はし)の垣根に隠れるように
「孝謙天皇御陵」の石碑がありました。向こうには「称徳天皇高野陵」の石碑が建っています。ようやく思い出して来ました。重祚(じゅうそ)でした。重祚とは、一度退位した君主が再び即位することです。第46代・孝謙天皇 は、病気であった母・光明皇太后に仕えるため、淳仁天皇に譲位します。光明皇太后が亡くなると、孝謙上皇は病に伏し、看病にあたった弓削道鏡を寵愛しますが、淳仁天皇と藤原仲麻呂は道鏡を除外しようと戦いとなります。結果は孝謙側が勝って、仲麻呂は殺害され淳任天皇は廃位させられてしまいます。淳仁天皇の廃位で、孝謙上皇は事実上、天皇に復帰しました。これ以降、孝謙上皇は 第48代・称徳天皇 と呼ばれるようになりました。先ほどはパニクッて重祚だったことを思い出せなかったのですが、一般的には称徳天皇よりも孝謙天皇の名前の方が有名なのですから、せめて宮内庁も看板には称徳だけでなく孝謙の名前も併記してくれたら‥と恨めしく思いました。
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近鉄京都線・平城駅そばの踏切を渡りますと、
山陵(みささぎ)八幡神社です。主祭神は、気長足媛命(おきながたらしひめのみこと)です。第14代・仲哀天皇の奥さま、神功(じんぐう)皇后 のことです。亡くなった仲哀天皇に代わって妊娠したまま三韓征伐に赴き、日本への帰途、船上で息子(第15代・応神天皇)を出産したことから、武運の神あるいは安産の神として慕われています。大分県の宇佐神宮、大阪市の住吉大社など、神功皇后を祀る神社は全国に数多くあります。
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神功皇后・
狹城盾列池上陵(さきのたたなみのいけのえのみささぎ)。考古学名は五社神(ごさし)古墳と云います。皇后陵とはいえ、墳丘長275mの前方後円墳は、全国第12位の規模の大きな古墳で、さすがに神功皇后の凄さを感じます。
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奈良競輪場を廻り込むように西へと進みますと、秋篠(あきしの)寺です。平城京の北西端にあった西大寺の北側に広がる一帯は、秋篠(あきしの)と呼ばれた地で、
古くから土師(はじ)氏ゆかりの土地であったと云われています。礼宮(あやのみや)様は平成2年のご結婚後、陛下から歴史ある皇室ゆかりの地名に因んだ「秋篠宮」の宮号を賜り、これを機に秋篠の名は一気に有名になりました。
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南門から本堂へ至るまでの広くて静かな境内の庭‥美しい苔庭の寺としても有名です。
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秋篠寺・本堂(国宝)。秋篠寺と云えば伎芸天、と云われるほど、美しい魅力的な伎芸天像(重文)がこの本堂内に祀られています(写真撮影禁止)。礼宮様が秋篠宮号を賜われた時、妃殿下の「紀子さま」の横顔が、伎芸天像に似ておられると云う評判が起こり、伎芸天像を一目見ようと全国各地から拝観客があとを絶ちませんでした。今も静かに女性の人気を集めている佐紀路の秋篠寺です。このあと近鉄・西大寺駅まで戻りました。