★シルバー健康ウォーク2月例会 「木津川右岸を歩く」 2/3
今月の例会は、地元・木津川市の木津川右岸に連なる低い山並みを歩きます。私はもう何度も歩いているところですが、近年は歩く人も少なくなり、山道は荒廃~尾根筋の土は崩れていたり、滑り止めの木の階段なども腐敗~していますが、それなりの山歩きを楽しめます。今回は木津川市の山城町から登って加茂町へ下山します。
kizugawa01
朝9時、JR奈良線・上狛(かみこま)駅に30名が集合しました。風も殆どなく、天気も良さそうです。
kizugawa02
山城町の松尾神社に立ち寄ります。古い絵馬の架かった拝殿手前から見た奥の本殿です。
kizugawa03
神童寺への途中にある墓地の道路矩面に集められた石仏群。ひときわ大きな石仏が 腰折地蔵 です。一般的なお地蔵さんと違い、右手に
錫杖(しゃくじょう)を持たず、左手に宝珠(ほうじゅ)を持ち、足には靴を履いてます。これは地獄まで赴いて衆生救済(しゅうじょうきゅうさい)をすると云う姿だそうで、鎌倉時代後期の作です。
kizugawa04
山城町の 神童寺(じんどうじ)。推古4年(596)聖徳太子が創建、白鳳4年(676)役行者が修行中に神が童子となって現れたことが寺名の由来です。以後、源平の戦いや鎌倉幕府軍の兵火等で建物は焼失し、室町時代に創建された経王堂(重文)が、今の本堂となっています。
kizugawa05
天神社近くの民家の脇道から山に取り付きます。いきなり急登が続きますが、10分ほどで尾根筋へ出ます。
kizugawa06
場所によっては、落葉に埋まった所や、花崗岩の砂礫のある、尾根筋ですが、快適なトレッキングです。
kizugawa07
歩き始めて約2時間。11時10分、鳶ヶ城(とびがじょう)跡 に到着。山城町での名称は「鳶ヶ城」ですが、加茂町では「西山」とも呼んでいます。2等三角点 が設置されていて、
基準点名:神童寺、標高:318.15m、北緯:34°46′13″ 東経: 135°50′50″ です。
kizugawa07a
「山城町ふるさと案内人の会」の説明版には、鳶ヶ城は16世紀頃に狛氏が築いた旨が記されています。
kizugawa07b
鳶ヶ城跡から見下ろした加茂町・瓶原(みかのはら)方面。湾曲した木津川の向こうに駅前ビルが望めました。
kizugawa08
尾根筋は両サイドが樹林となっていて、余り見通しはよくありませんが、時折、加茂町の町並みが見られたりします。正面の山は、木津川市の最高峰・三上山(さんじょうさん、標高473.3m)です。
kizugawa09
13時。海住山寺(かいじゅうせんじ)境内の展望所に到着。日当りの良いところで遅い昼食となりました。
kizugawa10
海住山寺・五重塔(国宝)。鎌倉時代の建保2年(1214)建立、高さ(基壇上面 から相輪上端まで)17.7m。屋外にある木造五重塔で、国宝・重要文化財に指定されているものとしては、奈良・室生寺・五重塔に次いで日本で二番目に小さい五重塔です。塔の特徴は、初層の屋根の下に 裳階(もこし)と呼ぶ庇(ひ・ひさし)を設けている点です。裳階をもつ五重塔としては、法隆寺・五重塔の例がありますが、現存する平安 - 鎌倉時代の五重塔では海住山寺のこの五重塔のみです。
kizugawa11
眼下に加茂町を見ながら、海住山寺からは舗装された急坂を下ります。
kizugawa12
急坂のヘアピンカーブが連続する海住山寺の参道を慎重に下ります。
kizugawa13
聖武天皇が平城宮から遷都した恭仁宮の跡。大極殿は平城宮から移築されました。しかし引っ越し魔の聖武天皇は、次は大坂の難波宮へと都を移し、ここ加茂の地に都があったのは僅か3年余りでした。写真は恭仁京跡に建てられた山城国分寺跡で、ここには七重塔が建てられていましたが、火災で焼失、
七重塔の礎石が15個残っています。一応ここで解散となりましたが、殆どの皆さんはJR加茂駅まで行きました。
kizugawa14
恭仁京跡から本日の登山コース~鳶が城跡(西山)、海住山寺を振り返ります。
kizugawa15
木津川に架かる恭仁(くに)大橋の南端に設置されている、中納言兼輔の和歌。百人一首でお馴染の、”みかの原 わきて流るる 泉川(いづみがは) いつ見きとてか 恋(こひ)しかるらむ” みかの原(瓶原)は恭仁京のあった一帯の地名、泉川は木津川の古名です。ちなみに、中納言兼輔は三十六歌仙の一人で、紫式部の曾祖父に当ります。JR加茂駅で本当の解散となりました。本日の歩程は 13.2km でした。