★近鉄フリーハイク 「酒蔵みてある記 豊澤酒造・豊祝」 2/4
冬の人気ウォーク・酒蔵巡りが始まっていますが、私としては今シーズン初の参加でした。
中でも 豊澤酒造さんの酒蔵訪問は、毎年1500人~2000人位のウォーカーさんが参集する一番人気のある企画です。
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とかく、これだけ大勢が集まると、なにかと大行列になるのは目に見えていますので、10時30分からの受付開始に間に合うようにと、家を出ました。JR奈良駅で万葉まほろば線に乗り換え、JR天理駅で下車です。乗ってきた電車は、105系2両編成のラッピング車 万葉トレイン「旅万葉」 で、久しぶりに乗りました。わが国最古の歌集である万葉集にゆかりのある6人の歌人の人物画と和歌などが描かれています。端から藤原鎌足、柿本人麻呂、額田王、大伴家持、大伴旅人、山上憶良が描かれていて、この絵は藤原鎌足です。
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10時28分、JR天理駅に到着。JR改札口の北隣が、集合場所の近鉄改札口です。既に500人以上の大行列が、S字状に3列出来ていて、コースマップを貰うのに15分近く並びました。ウォーク友達のTさんやKさん、ご近所のOさん、奈良のブロ友さんでウォーク友達でもあるNさんなど、顔見知りも色々参集していました。
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大阪府奈良警察署櫟本(いちのもと)分署跡 です??。現在の奈良県は、慶応4年(1868)廃藩置県で奈良府となり、後に奈良県と改称するも、明治9年(1876)には大阪の堺県に併合されてしまいます。明治14年(1881)には堺県も大阪府に吸収併合されてしまい、大和の地は大阪府となっていました。明治20年(1887)に大阪府から切り離されて再び奈良県となりました。この看板は明治19年に出来た櫟本分署のもので、ここが大阪府であったことを示しています。
右の写真は、天理教・中山みき教祖を取り調べた部屋です。江戸末期に成立した天理教は、維新後の天皇制国家にあっては国家神道とは別の神の体系をとなえる邪教の1つとして、明治政府から弾圧され、教祖が12日間ここで拘留されました。この間、信者たちは代わる代わる通行人を装っては、格子の窓から教祖の様子を窺っていたと伝わっています。 
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国道169号線に面した、櫟本地区にある 和邇下(わにした)神社 の鳥居。大和王権を支えた古代豪族・和珥氏(わにし)の本拠地です。
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和邇下神社・拝殿和邇下神社は小高い丘(和邇下神社古墳)の上に建てられていて、ここには神牛ならぬ、狛牛が左右に置かれています。
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柿本寺(しほんじ)跡。柿本人麻呂の氏寺跡です。柿本は和珥氏の末裔に当たり、ここには人麻呂の遺髪を埋めた歌塚も残っています。
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古墳の大きな石蓋。和邇下神社古墳から出土したものであろうと云われています。このあと高塚公園に立ち寄りました。丁度昼食時間だったので、公園内では多数の人たちがゆっくりと昼食をとっていましたが、私たちはアトのことを考えて小休止にとどめて先を急ぎました。
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かぼちゃ薬師。面白い名前だったので覗いてみました。昔、腹痛の人がこの薬師様にお参りしたら腹痛が治ったので、お礼にカボチャをお供えした前例から、病気治癒した人たちが次々にかぼちゃをお供えしたそうで、かぼちゃ薬師と呼ばれているそうです。
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住宅街の中、飛鳥時代に整備された道、古代日本における官道の一つ・上ツ道(上街道)を歩き‥
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田園地帯を歩き‥菩提仙川 の堤防上を歩き‥とにかく、わき目もふらず、ひたすらゴールを目指します。
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12時55分、ゴールの豊澤酒造さんに到着。入口に本日のウォーク参加者数は1949人と出ていました。後半は休まずに歩いたので、並ぶこともなく、スムーズに工場見学を終えて‥
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試飲会場へ出てきますと、たくさんの人で埋まっていました。ウェルカムドリンクの温かい甘酒(無アルコール)で一息ついた後、大吟醸酒からはじまり純米酒、にごり酒等々、それに柚子酒や梅酒も含めて8品種のお酒を試飲させていただきました。しっかり楽しませてもらった後は、お土産のワンカップ清酒もいただき、今年も大満足の酒蔵巡りでした。
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気持ちよく豊澤酒造さんから退出すると、なんと入場待ちの大行列が出来ていました。早くゴールして良かったです。JR帯解(おびどけ)駅へ出て、私のウォークのゴールとしました。駅で再びTさんと出会い、同じ電車で帰宅しました。本日の歩程は 10.0km でした。