★桜井・森とふれあう市民の会 「花の御所まちを巡る」 4/9
奈良盆地の最南端に位置する御所は「ごせ」と読み、紀州や吉野への中継地として栄えた町です。今までは葛城山の登山で訪れるだけで、市内をゆっくり散策したことはありませんでした。御所市内を流れる葛城川の東側地区は「東御所」、西側地区は「西御所」と呼ばれています。明治以降は鉄道(国鉄・近鉄)や国道(24号線)が葛城川の西側(西御所)に通されたため、西御所の発展に比べて取り残された東御所ですが、古い伝統的な街並みが今も残されていて、今回は東御所地区を主に巡り歩きます。
午前10時、近鉄・御所駅に集合。この会も予約申込制のウォークですが、講師陣が蒼々たるメンバーなので中味の濃い解説が聞けることから、参加者は歴史好き・植物好きの常連者が殆どです。ウォーク友達のFさんも参加されていました。つい30分前までは、本格的な雨が降っていたのですが、奇跡的に受付直前に雨が上がりました。受付のあと本日のコース内容について説明を聞きます。
奈良盆地の最南端に位置する御所は「ごせ」と読み、紀州や吉野への中継地として栄えた町です。今までは葛城山の登山で訪れるだけで、市内をゆっくり散策したことはありませんでした。御所市内を流れる葛城川の東側地区は「東御所」、西側地区は「西御所」と呼ばれています。明治以降は鉄道(国鉄・近鉄)や国道(24号線)が葛城川の西側(西御所)に通されたため、西御所の発展に比べて取り残された東御所ですが、古い伝統的な街並みが今も残されていて、今回は東御所地区を主に巡り歩きます。
午前10時、近鉄・御所駅に集合。この会も予約申込制のウォークですが、講師陣が蒼々たるメンバーなので中味の濃い解説が聞けることから、参加者は歴史好き・植物好きの常連者が殆どです。ウォーク友達のFさんも参加されていました。つい30分前までは、本格的な雨が降っていたのですが、奇跡的に受付直前に雨が上がりました。受付のあと本日のコース内容について説明を聞きます。
最初の訪問地「高札場(こうさつば)」です。高札場とは、江戸幕府が出した通達や規則など各種のお触れ書きを掲げた所です。江戸時代から残る3枚の高札「火付け札」「徒党札」「偽金銀札」(掲示されていっるのは複製)の他に、新たに作られた高札などが6枚が掲げられていました。例えば明和7年(1770)に出された「徒党札」は、文字通り徒党を組むことを禁じた通達で、百姓一揆等を事前に押さえ込もうとするものです。怪しい者を密告した者には銀100枚の褒美を出す、と明記されています。銀100枚と云えば、現在のお米の価格で換算すると約600万円に相当します。いやはや迂闊に仲間と幕府の悪口話をして他人に聞かれたら大変な世の中だったことがわかります。
JR和歌山線と並行する葛城川堤防のサクラ並木です。
葛城川堤防のサクラ並木。咲き誇る花も綺麗ですが、散った桜が水の上に帯のように浮かび流れる花筏(はないかだ)も素晴らしく、とても風情がありました。
JR和歌山線と並行する葛城川堤防のサクラ並木です。
葛城川堤防のサクラ並木。咲き誇る花も綺麗ですが、散った桜が水の上に帯のように浮かび流れる花筏(はないかだ)も素晴らしく、とても風情がありました。
鴨都波(かもつば)神社 に到着です。この地の豪族、葛城氏や鴨氏によって祀られた神社で、主祭神は事代主神です。事代主神は大国主神の子ですから「大神(おおみわ)神社の別宮」とも云われています。一帯は「鴨都波遺跡」という遺跡で、鴨都波古墳からは銅鏡や勾玉などが出土しており、また弥生時代の土器や農具も多数出土しており、古くから鴨族がこの地に住みついて農耕をしていたことがわかります。
葛城川に架かる 端駈橋(はなかけばし)。昭和3年に完成したコンクリート製のアーチ橋です。盾状のアーチ迫石やデンティル(歯飾り)、高欄のグリルなど意匠に工夫を凝らしてあり、アーチ中央のキーストーンにはライオン頭部のレリーフが付いていて、近代土木工学の逸品です。別名ライオン橋とも呼ばれています。
サクラ吹雪とサクラ絨毯の中を歩きます。
奈良県薬事研究センター に立ち寄り、色々なハーブ・ティーを試飲させてもらい、薬草園を見学させてもらいました。
数がないので早い者勝ちで頂いた、アマチャ(甘茶)とノカンゾウ(野萓草)の苗。帰宅後、鉢に植え替えました。アマチャはアジサイ科の低木落葉樹ですから、咲けばアジサイと同じ花が見られるはずです。ノカンゾウは京都府では絶滅危惧種となっている貴重な山野草です。センターの皆様、有難うございました。大切に育てます。
12時30分、葛城公園 に到着、ここで昼食となりました。
葛城公園のサクラも満開で、サクラ吹雪の中をミャンマーの若者グループがお花見を楽しんでいました。
公園の東屋で、目の前の葛城山(右)と金剛山(左)を見ながら、お弁当を食べました。
御所市は、国交省の「日本風景街道」の第1回登録で「御所まち近世景観街道~近世物流の要所~」として認定を受けました。細工瓦や白壁、格子等の町屋が50軒以上並び、江戸時代の面影を残しています。写真は、家の中も見学させてもらった梅本邸の外観、虫籠窓(むしこまど)です。虫籠窓は、町家の二階や厨子二階(つしにかい:中二階とも呼ばれる軒高の低い二階)に見られる窓で、粗壁や漆喰(しっくい)などで格子が塗り固められていることが多いです。
次に訪れたのは 円照寺。天文15年(1546)に開山。その後、寺内町の中核として存続してきました。立派な山門や本堂(写真)が残っています。平成16年に大改修が行われ、本堂の大屋根の一番上の 鬼瓦(鬼ではないので、正しくは獅子口と云います)は新しものと取り替えられました。
境内に保存されている、以前の獅子口。天保2年(1831)から平成16年までの170有余年の間、本堂の大屋根に座していました。総重量は分かりませんが、こんな瓦が普通の家に取り付けたら、その重みだけで家や屋根は潰れてしまうでしょうね。また境内には、ここが原産地の「御所柿」の木が植えられていました。御所柿は江戸時代、日本で始めて出現した完全甘柿で皇室や幕府に献上された、甘柿のルーツと云われています。この御所柿を他の柿に接ぎ木して生まれたのが富有柿です。吉祥草寺(きちじょうそうじ)。この辺りは昔から茅原(ちはら)の地と呼ばれ、修験道の開祖・役行者の生誕地で、寺も役行者が創建したものと云われています。寺名は、役行者がキチジョウソウ(吉祥草)の草を用いて庵を結び、仏神を祀ったことに由来すると伝わっています。境内にある、役行者の産湯の井戸(左)と腰掛石(右)。
15時30分、JR和歌山線の無人駅・玉手駅でゴール・解散となりました。30分ほど待って、1時間に1本しかない電車で帰途につきました。本日の歩程は約 5.9km でした。
葛城川に架かる 端駈橋(はなかけばし)。昭和3年に完成したコンクリート製のアーチ橋です。盾状のアーチ迫石やデンティル(歯飾り)、高欄のグリルなど意匠に工夫を凝らしてあり、アーチ中央のキーストーンにはライオン頭部のレリーフが付いていて、近代土木工学の逸品です。別名ライオン橋とも呼ばれています。
サクラ吹雪とサクラ絨毯の中を歩きます。
奈良県薬事研究センター に立ち寄り、色々なハーブ・ティーを試飲させてもらい、薬草園を見学させてもらいました。
数がないので早い者勝ちで頂いた、アマチャ(甘茶)とノカンゾウ(野萓草)の苗。帰宅後、鉢に植え替えました。アマチャはアジサイ科の低木落葉樹ですから、咲けばアジサイと同じ花が見られるはずです。ノカンゾウは京都府では絶滅危惧種となっている貴重な山野草です。センターの皆様、有難うございました。大切に育てます。
12時30分、葛城公園 に到着、ここで昼食となりました。
葛城公園のサクラも満開で、サクラ吹雪の中をミャンマーの若者グループがお花見を楽しんでいました。
公園の東屋で、目の前の葛城山(右)と金剛山(左)を見ながら、お弁当を食べました。
御所市は、国交省の「日本風景街道」の第1回登録で「御所まち近世景観街道~近世物流の要所~」として認定を受けました。細工瓦や白壁、格子等の町屋が50軒以上並び、江戸時代の面影を残しています。写真は、家の中も見学させてもらった梅本邸の外観、虫籠窓(むしこまど)です。虫籠窓は、町家の二階や厨子二階(つしにかい:中二階とも呼ばれる軒高の低い二階)に見られる窓で、粗壁や漆喰(しっくい)などで格子が塗り固められていることが多いです。
次に訪れたのは 円照寺。天文15年(1546)に開山。その後、寺内町の中核として存続してきました。立派な山門や本堂(写真)が残っています。平成16年に大改修が行われ、本堂の大屋根の一番上の 鬼瓦(鬼ではないので、正しくは獅子口と云います)は新しものと取り替えられました。
境内に保存されている、以前の獅子口。天保2年(1831)から平成16年までの170有余年の間、本堂の大屋根に座していました。総重量は分かりませんが、こんな瓦が普通の家に取り付けたら、その重みだけで家や屋根は潰れてしまうでしょうね。また境内には、ここが原産地の「御所柿」の木が植えられていました。御所柿は江戸時代、日本で始めて出現した完全甘柿で皇室や幕府に献上された、甘柿のルーツと云われています。この御所柿を他の柿に接ぎ木して生まれたのが富有柿です。吉祥草寺(きちじょうそうじ)。この辺りは昔から茅原(ちはら)の地と呼ばれ、修験道の開祖・役行者の生誕地で、寺も役行者が創建したものと云われています。寺名は、役行者がキチジョウソウ(吉祥草)の草を用いて庵を結び、仏神を祀ったことに由来すると伝わっています。境内にある、役行者の産湯の井戸(左)と腰掛石(右)。
15時30分、JR和歌山線の無人駅・玉手駅でゴール・解散となりました。30分ほど待って、1時間に1本しかない電車で帰途につきました。本日の歩程は約 5.9km でした。
コメント
コメント一覧 (6)
その後の行程で持っている方の姿がほとんどないですね。
コメント有難うございます。
この苗はセンターの入口付近に無造作に10本ほど置かれていたものです。特に何も表示がなかったので「この苗は分けてもらえますか」とこちらから尋ねたところ、「必要でしたらお持ち帰りください」とのことでした。数が少ないので一切PRはなく、気付いて尋ねた人だけが貰いました。アマチャの写真の下の葛城公園到着時の写真で、白いビニール袋を持った人が3人ほど写っていますが、この人たちも苗を貰った人です。白いビニール袋は10人程でなくなりました。一人一株ということでしたが、この日は家内も一緒に来てましたので、幸運にもアマチャとノカンゾウの2つをゲット出来ました。
コメント有難うございます。
ノカンゾウは全国15府県でRDBに指定されており、何故か近畿・北陸・信越地区が多いです。京都府では絶滅危惧Ⅰ類と厳しい状況です。当地でも数年前まで僅かですが見られたのですが、もう1ヶ所くらいしか見られる所が残っていません。ヤブカンゾウとノビルはイヤというほどあります。先日山歩きをしていたらコゴミの群生を発見、夕食分だけ採取し、テンプラで頂きました。
コメント有難うございます。
当地も貴地も同じで良かったです。貴地だけノカンゾウがいっぱいあるようなら神様は不平等ですよね。正直、当地で見られなくなったら、他所へ行って採ってこようと思ったこともあるほどでしたので、センターで貰えたのはラッキーでした。
当地では貴重品のコゴミが、毎日食卓に、ですか。贅沢すぎると云うか、凄すぎると云うか、やっぱり、神様は不平等ですね。