「花の命は短くて」とは、サクラのことなんでしょうね。人間はサクラの花のように短命ではありませんが、でも最後は、サクラの花のように潔(いさぎよ)く、サッと散っていきたいものです。さて、天気も良かったので、飛鳥へサクラ見物を兼ねて、出掛けてみました。
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ドライブがてらに多武峰(とうのみね)に回りこんで、山桜を見た後、飛鳥に下りて来ました。青空のもと、石舞台周辺のサクラは、まさに今が見頃の満開でした。
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石舞台古墳を取り巻くサクラを見ながら、芝生の上でお花見をしていたグループ。私もここで昼食としました。
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石舞台古墳の東方の丘に登って、石舞台とサクラを見下ろします。
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同じ場所からズームで撮ってみました。蘇我馬子(うまこ)の墓と云われる石舞台古墳も晴れやかです。石舞台古墳は、のちほど紹介します都塚古墳と同じ方墳形式の古墳です。
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石舞台越しに西方の二上山、葛城山、金剛山を眺望。この一帯は蘇我一族が勢力を持っていた地区でした。
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更に東の山腹に上ってみます。北西部の橿原市や矢田丘陵、生駒山が春霞でぼんやりと見えています。親子である蘇我稲目の墓(都塚古墳)と蘇我馬子の墓(石舞台古墳)は、距離にして僅か数百メートルしか離れていません。
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都塚古墳。埋葬者は特定されていませんが、蘇我一族の隆盛を作った蘇我稲目(いなめ)の墓だと云われています。
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平成
26年(2014)8月、明日香村教育委員会と関西大学が合同で2年がかりで墳丘の発掘調査を実施してきた結果、都塚古墳は石を階段状に積み上げたピラミッドのような極めて珍しい形をしていたことが判明し一躍脚光を浴びました。当時は、古い形式の前方後円墳がすたれてきて、都塚古墳は中国の積石塚などを参考にして築造されたのではないか、と云われています。底辺の一辺が 40m もある大型の方墳で、日本では類例の見ない階段状ピラミッド古墳です。写真は2014年8月13日のANN(テレビ朝日)系列で放送された想像図です。
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都塚古墳の玄室内です。二上山で産出した凝灰岩(ぎょうかいがん)で造られた家型石棺が残っています。
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石舞台古墳から下ってきて、聖徳太子誕生の地・橘寺へ来ましたが、サクラは少しだけなので‥
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飛鳥川沿いのサクラを見物しました。
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飛鳥川の堤防沿いの散策路をのんびり歩きます。
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サクラ並木の左手は野原となっています。なにげなく見ていたら、赤い動くものが目にはいりました。
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大急ぎでカメラを構えて望遠で確認します。草むらの中から頭だけ見えていたのはキジ(雉)でした。先日もキジと出会ったのですが、全く写真に撮れず、今日はなんとしても全身写真が撮りたいのですが‥
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しばらく粘っていたのですが、背丈が伸びた草に邪魔されて、顔だけしか見られません。
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一瞬、背中も見えたのですが、草むらが邪魔でした。近くへ行けば逃げられるでしょうし、これ以上は望遠も効きません。残念ですがキジとお別れです。
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サクラの上では、モズが一部始終を見ていたようですが、気の毒と思ったのかどうか、見て見ぬ振りをしてくれました。まぁ、サクラを見に来たのですから、キジが顔を見せてくれたのは余興としておきます。
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駐車場に戻り、帰途につきましたが、まだ時間が少しありましたので途中の、標高152mの 天香具山(あめのかぐやま)に登りました。
古代から「天」という尊称が付くほど大和三山のうちでも最も神聖視されてきた山です。山頂にある 国常立(くにとこたち)神社です。祭神は国常立命で、天地開闢(かいびゃく)とともに現れた国土形成の神様だそうです。
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上の写真と下の図とを見比べながら見てください。天香具山の山頂は樹木に囲まれ、僅かに西方だけが展望できます。山頂には、第34代・舒明(じょめい)天皇が天香具山に登られた時に
詠まれた和歌が記されています。先代・推古天皇のあとを受け継いだ舒明天皇ですが、政治の実権は蘇我馬子の子である蝦夷(えみし)が握っていました。舒明天皇の皇子が、中大兄皇子(のちの天智天皇)や大海人皇子(のちの天武天皇)で、蘇我蝦夷と蘇我入鹿(いるか)親子の専横ぶりに業を煮やした、中大兄皇子と中臣鎌子(のちの藤原鎌足)とが入鹿を成敗し(乙巳の変=いっしのへん)、蝦夷も自害しました。やがて大化の改新を迎え、再び天皇中心の政治へと変わっていくことになるのです。しばし古代の出来事を想像して楽しんだあと、下山し、木津川市へと車を走らせました。