暑い時期の市街地ウォークは、アスファルトの照り返しがきついので、行く気になりません。しかし、今回の企画タイトルが「義経ゆかりの地を訪ねる」とあったため、歴史好きな私としては参加してみたい、しかもコース地の殆どが私の子どもの頃からよく知っている、懐かしい所です。ただ、この会の企画運営には近年ちょっと危惧するところがあって悩んだのですが、久しく出席していなかったので参加することにしました。
★シルバー健康ウォーク7月例会 「京都散策・義経ゆかりの地を訪ねる」 7/7
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当日は、ちょっと遅めの朝10時に、京阪・出町柳駅の地上部に集合でしたが、狭い路上では通行人の邪魔になるので、高野川・河合橋を渡って、鴨川公園へ移動することになりました。橋の後方左手は叡山電鉄・出町柳駅。更に後方には大文字山が見えています。
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高野川と賀茂川の合流地点にある 鴨川公園(葵公園)で、出席点呼と準備体操です。公園の一角に建っている尾上松之助の銅像。尾上は「目玉の松ちゃん」と親しまれた、日本映画草創期に活躍した時代劇俳優で、日本最初の映画スターでした。でも「まっちゃん」と言っても、今の若い人はダウンタウンの「まっちゃん」くらいしか思い浮かばないようです。
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まずは 下鴨神社(賀茂御祖神社)に立ち寄りました。遅れてきた人たちも追いついてきて合流しました。「葵祭り」が終わった下鴨神社の次の行事は、夏の土用の丑の日を中心とした「御手洗(みたらし)祭り」です。今年は7/22-30の予定です。暑い夏の日に冷たい水に膝まで浸かるのはとても気持ちがよく、みたらし団子を買って帰るのが、子どもの頃の楽しみでした。ちなみに「みたらし団子」はここが発祥の地です。
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今日(7/7)は七夕でした。七夕飾りが並ぶ 出町枡形商店街 を通り抜けます。子どもの頃の日用品の買物は全てここでした。京都は各所でこうした昔ながらの商店街が今も結構残っていて懐かしいです。私の実家近くには、京都御所や同志社や京都五山の1つ相国寺がありましたので、この3ヶ所が一番の遊び場でした。相国寺の東門から境内に入り、上立売(かみだちうり)通りをひたすら西へ、烏丸通り、室町通り、新町通り、小川通り等を横切っていきます。
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11時30分、今出川通り堀川東にある 白峯神宮 に到着、小休止です。
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白峯神宮の境内社である 地主社(じしゅしゃ)
白峯神宮の社地は、蹴鞠(けまり)の宗家であった公家・飛鳥井家の屋敷の跡地でした。地主社の祭神=精大明神、蹴鞠の守護神であったことから、今ではサッカーをはじめとする各種球技の日本代表選手やJリーグの選手たちの奉納や参詣が絶えません。丁度、本日(7/7)は年に一度の精大明神例祭日(七夕祭)で、綺麗に飾られていました。
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西陣地区にある 首途(かどで)八幡宮。本日最初の義経ゆかりの地です。平安時代末頃には、このあたりに金売吉次(かねうりきちじ)の屋敷があったと云われています。久安5年(1149)、宇佐八幡宮の神霊を勧請したのが、この神社の始まりです。

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承安4年(1174)、牛若丸(源義経)が金売吉次に伴われ、奥州平泉・藤原秀衡を訪ねるに際し、鞍馬山を出たあと、この神社に立ち寄り、道中の安全と武勇上達を祈願して出立したと云われています。石碑にありますように「源義経奥州首途(かどで)の地」なので首途八幡宮と呼ばれます。一方、それとは別に、寿永年間(1182-1185)に、源義経が、兄・範頼と共に源頼朝の代官として、平家追討の首途(かどで)にあたり、宇佐八幡宮を勧請したのが始まり、と云う説もあるようです。
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首途八幡宮でお昼になってしまいました。神社の北側に隣接する桜井公園の日陰を選んで昼食となりました。
出発時間が遅かったところへ、下鴨神社に立ち寄るなどしたことから、まだ全体の1/3程度しか歩いていません。暑さも厳しく、これではとても全コースを歩けないのではと、私の危惧していたところが頭をもたげてきました。
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一部の人たちは途中をカットして船岡山に先に行ったそうで、昼食後は、急いで船岡山に直行する人たちも出てきて、一行は更にバラバラになってしまいました。私は
道案内役として、最後の組で残った人たちと行動を共にしました。千本通りの石像寺、通称 釘抜き地蔵 です。
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引接寺(いんじょうじ)。通称は、千本ゑんま堂 です。平安時代の公卿であり陰陽師でもあった 小野篁(おののたかむら)が閻魔大王をここに祀ったのが始まりと云われています。この地は蓮台野(れんだいの)の入口にあたり、化野(あだしの)、鳥辺野(とりべの)と並び、篁が定めたと伝わる平安京三大葬送地のひとつでした。今日は拝観もせず、横目で見ながら、皆さんのあとを追います。
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13時過ぎ、船岡山の南東登り口 に到着。船岡山は、
昔から京都の町を見下ろせる景勝の地であり、その美観が尊ばれてきました。清少納言は「枕草子」231段にて「岡は船岡」と、思い浮かぶ美しい丘の一番手として、ここの名前を挙げています。保元の乱では、敗れた源為義とその子供たちがここで処刑されました。また、応仁の乱では西軍の山名宗全がここに城塞を築いて、東軍の細川勝元を迎え撃ち、山をめぐって争奪戦が展開されました。本能寺の変で自害した織田信長の葬式を、豊臣秀吉は大徳寺で盛大に行い、信長の菩提を弔うため大徳寺に総見院を建てる一方、船岡山に織田信長・信忠親子の霊廟を設けてその御霊を慰めるべく、この山に「天正寺」と云う信長の廟を建てようとしましたが実現出来ませんでした。しかし、一帯は江戸時代を通じ信長の霊地として保護されて来ました。昭和6年(1931)、京都市は大徳寺よりこの山を借り受けて、山一帯を船岡山公園としました。このあたりは高校時代、クラスメイトたちとの語らいの場所でもありました。
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船岡山の中腹にある 建勲神社 立寄りました。「たけいさお・じんじゃ」と読むのが正式ですが、一般には「けんくん・じんじゃ」と呼ばれています。
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建勲神社は、明治天皇が「
日本が外国に侵略されなかったのは、天下統一をめざして日本を一つにまとめた信長のおかげ」として、明治2年(1869)に創設しました。主祭神は織田信長公で、戦国武将を神として祀る神社の一つです。秀吉がこの山に信長の廟を建てたいと願っていたのが、彼の死後、約270年を経て明治天皇によって実現されたのです。参詣していると、先着組から「今どこに居るのか」との電話があり、「皆さんのすぐ近くに居ます」と答えて、急いで頂上へ向いました。
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13時15分過ぎ、先着組が待つ船岡山・頂上に到着です。三角点情報‥点名:船岡山、等級:3等、標高:111.89m。今は樹木が茂って、殆ど市内の展望はききません。一段落したところで、リーダーから「ここで自由解散とします」と恐れていた一言が出ました。まだコースの半分ほどしか歩いていませんし、義経ゆかりの地は、1つ訪ねただけです。
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船岡山(建勲神社)、大徳寺、今宮神社周辺のMAPです。左図の赤丸印が我が母校(高校)で、東に大徳寺、西に金閣寺、南は船岡山、北は今宮神社に囲まれた所にあります。右のMAPは私が準備してきたもので、赤い箇所が本日のテーマ「義経ゆかりの場所」の数々ですが、目前にしておじゃんとなりました。最近の例会では、途中カットや後半カットになることが多いので、訪ねたい所に今回も行けないのではと危惧していたのですが、やはり現実となってしまいました。仕方なく、仲の良い友人たちと計4人でビールを飲みに行くことにしました。鞍馬口近くの和菓子屋さんに予約していた品があったので、地下鉄・鞍馬口駅まで更に歩き、注文品を入手したあと、烏丸御池駅で途中下車し、4人でお疲れさん会をしました。冷えた生ビールが気持ちよく喉を何度も通過していきました。本日の歩程は 9.8km でした。
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おまけ:予約していた夏の冷果・幸楽屋さんの「金魚鉢」です。金魚鉢の中で涼しげに泳ぐ金魚がモチーフで、暑い時期に冷やして食べるのが楽しみな、お気に入りのお和菓子です。