既に梅雨明け宣言が出たのに、相変わらず空模様は不安定で、蒸し暑さだけは増してきて、これでは外出する気にもなれません。しかし、ぼやいている間にも、どんどん月日は進み、花の開花情報も日々変化していきます。今日にも外出しないと、ヤマユリ(山百合)の花も見られなくなりそうです。かと言って、ヤマユリだけを見に行くのも効率が悪いので、何かと併せて見物に行ければと思案していたら、”丹波の佐吉”の狛犬や石仏、あるいは大好きな日本狼の遺跡などが思い浮かびました。あれこれ行きたい所を挙げてみると、とても1日では廻りきれそうもありませんが、行けるところまで行ってみようと、気の向くまま、車の向くままに出発しました。結果は、ヤマユリも ”丹波の佐吉” の狛犬や石仏も、予定以上に見ることが出来ました。レポートの第一弾は、大好きな日本狼(ニホンオオカミ)からです。
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奈良県吉野郡東吉野村に建つ 日本狼(ニホンオオカミ)像なんと見事な像でしょう!今更説明するまでもなく、明治38年(1905)、東吉野村鷲家口(わしかぐち)において捕(と)らえられた、我が国最後のニホンオオカミをモデルとした等身大のブロンズ像です。制作者は、奈良教育大学教授だった故・久保田忠和氏です。若い頃からニホンオオカミに入れ込んできた私は、昭和62年(1987)、この地に像が建立されたことをニュースで知りましたが、何故かこの地を訪れることはなく、長い年月が経ってしまいました。この歳になり、ようやく日本狼の在りし日の雄姿に出会うことが出来ました。
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吉野川の支流・高見川沿いに走る奈良県道16号(吉野東吉野線)の道路脇に、ニホンオオカミ像の案内標識と向き合うように像が建てられています。このあたりが鷲家口と呼ばれる所です。アメリカ人のマルコム・アンダーソンは、ロンドン動物学会とロンドン自然史博物館とが企画した東亜動物学探検隊員として明治37年(1904)7月に来日、明治38年(1905)1月13日に東吉野村鷲家口に通訳の日本人学生・金子清氏と共に来て、芳月楼という宿屋に滞在し、日々入手した鹿やカモシカ、猪や狸等々を剥製にしていました。1月23日、3人の日本人猟師がニホンオオオカミの死体を10数円で売りたいと訪ねて来ますが、安く仕入れたいアンダーソンとの価格交渉は不成立、猟師たちはオオカミの死体をかついで立ち去ってしまいます。通訳の金子氏は「この時のアンダーソンの失望は言語に絶するものだった。元来無口のアンダーソンが、買えばよかった、再び手に入らないかもしれない、と独り言を言い続けていた」と述懐しています。
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ところが、やがて猟師たちは再びやって来て、8円50戦で折り合い、
オオカミは売り渡されました。金井氏は 「これが、日本で捕獲された最後のニホンオオカミになろうとは、当時、想像も及ばないことである。アンダーソンとともに、鋭利なナイフで皮をはいでいる間、3人の猟師はタバコを吸いながら眺めていた。腹がやや青味を帯びて腐敗しかけているところから見て、数日前に捕れたものらしい」と記しています。このニホンオオカミは若い雄でしたが、腐敗しかけていて剥製にするのは無理と、骨と毛皮にされてロンドンに送られました。この標本には「採集地:ニホン・ホンド・ワシカグチ」と記録され、現在に至るまで大英博物館の貴重な資料として保存されています。
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ブロンズ像近くにある説明板です。
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像から少し離れた西手に建てられている石碑には‥
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”狼は亡び 木霊ハ存ふる (オオカミはほろび、こだまはながらふる) ” 俳人であり大阪芸術大学教授の三村純也氏の句碑です。オオカミは滅亡したが、精霊となっていつまでも生き続ける、と言う意味でしょうか。
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天に向かって咆哮するニホンオオカミ。この台座の裏側には東吉野村の「ニホンオオカミ像建立の記」が記されています。その最後の一節には 「かつて台高の山野を咆哮したニホンオオカミの生存にかすかな夢を託して 雄姿を像にとどめ、ひろく自然の愛護を希(ねが)い、村の文化史を彩る貴重な遺産としたい」 と記されていました。
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ちなみに、日本に残されている3体の剥製のうち、和歌山大学に保存されていた剥製は、こちら をご覧ください。
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一般的には、最後の個体が見られたあと、50年間その姿が見られないと「絶滅した」と看做(みな)されます。この鷲家口のオオカミを最後に、再びオオカミの姿が日本で確認されることはなく、120年が経ってしまいました。ニホンオオカミは、欧米の大陸狼のように集団行動はせず、原則、夫婦2頭で行動しました。夜間、山でオオカミに出会うと、夫婦2頭のオオカミは、人間の前後を守るように一定の距離を置きながら、家にたどり着くまで付いてくる(送ってくれる)と云う習性を持っていました。これが「送りオオカミ」の由来ですが、現代の人たちはこの本来の善意の意味を理解せず、全く逆の(送ってきて悪事を働く)意味で使用しているのは誠に残念です。また、古代より日本人はオオカミを 「大神様」「お犬様」 と崇め信仰してきました。畑を荒らす鹿や猪を退治してくれるオオカミは、農民にとって守り神的な存在でした。近年の鹿や猪の農作物被害は増える一方です。もしニホンオオカミが生きていたら、そうしたことも軽減されたのでしょうが、もう何もかもが夢のまた夢になってしまいました。二度とこのような不幸が起こらないよう、せめて自然愛護、種の保存に心していきたいものです。