★JRハイク「Welcoming アベノ・天王寺 浪漫と歴史のまちを歩く」1/28
アベノ(阿倍野)の歴史は弥生時代に始まったと云われます。アベノの地名の由来は、諸説ありますが、古代にこの地を領有していた豪族・安倍氏の姓とする説が最も有力です。一方、天王寺の由来は、この地にある四天王寺を略して呼んだ名前です。平安時代には人々が熊野詣でに行き交った歴史ある熊野街道、今もチンチン電車がのどかに走る、浪漫あふれる町~そんな「アベノ・天王寺」界隈の歴史や風情を楽しみながら歩きました。
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加茂からJR大和路快速に乗って天王寺へ。集合地は9時50分に テンシバ です。テンシバとは天王寺公園エントランスエリアの芝生公園の愛称です。今日は午後から降水確率が高いとの予報だったせいか、参加者は305名とのことでした。主催者はもっと集ると読んでいたようで、曇天を恨めしそうに見上げていました。後方右手は阿倍野ハルカスです。

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テンシバから、いったん北上し 四天王寺 に立ち寄りました。推古天皇元年(593)に聖徳太子が創建した四天王寺。その伽藍配置は「四天王寺式伽藍配置」といわれ、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形式で、日本では最も古い建築様式の一つです。写真は中門(仁王門)の両端に位置する仁王像。重さ1トン、高さ5.3m の日本最大級の仁王像です。
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(左)四天王寺・中門と、後方は修理中の五重塔。(右)熊野権現礼拝石。平安・鎌倉時代に盛んであった熊野詣の行程は、京都の宇治から大阪の天満まで淀川を船で下り、天満から四天王寺・住吉大社・和歌山の田辺を通るもので「熊野街道」と呼ばれました。熊野詣の人々は、まず四天王寺のここで熊野の方向に礼拝し、熊野までの道中安全を祈りました。
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四天王寺からは南下し、阿倍野筋 を歩きます。今日は午後から「大阪国際女子マラソン」が行われるため、私たちも一部コースを変更して歩きました。
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伝・北畠顕家(きたばたけあきいえ)卿之墓。北畠顕家は、鎌倉時代末期から南北朝時代の公卿・武将。南北朝時代の戦いでは、南朝(後醍醐天皇)方の武将として新田義貞、楠木正成らと協力して、北朝方の足利尊氏らに果敢に挑むも、遂に和泉国堺浦・石津に追い詰められ、奮戦の末に討ち取られて戦死しました。顕家のものと伝えられている墓は、死後およそ400年後の享保年間に並川誠所の提唱によって立てられたものと云われています。
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11時55分、万代池公園 に到着。ここで昼食タイムとなりました。食後、池の水鳥たちを観察しましたが、ヒドリガモやマガモ、オオバンなどお馴染みの鳥ばかりでした。昼食後は天王寺駅方面を目指して北進します。
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阪堺電気軌道・上町線の車両たちと停留所。阪堺電車は大阪市内と堺市内を結ぶ路面電車で、南海電鉄の完全子会社です。電車はモ501形(左上)、モ161形(右上)、モ601形(右下)など車種も多種多様で、塗装色やデザインもバラエティに富んでいて見飽きません(写真をクリックしますと大きな画面になります)。
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熊野街道を天王寺方面に向って歩きます。熊野街道の石標や案内碑が幾つか見られました。
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阿倍王子神社。古代豪族・安倍氏の氏神社ですが、平安時代から熊野詣が盛んとなり、途中の街道に熊野九十九王子と呼ばれた沢山の王子社が出来ました。王子社とは、熊野詣の途中の休憩と遥拝のために設けられた神社です。この神社も熊野王子社の1つとなり、阿倍野王子社と呼ばれました。大阪府下では唯一現存している王子社です。
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安倍晴明神社。創建は
寛弘4年(1007)。安倍晴明の神社と云えば、京都の堀川通り一条戻橋の所にある晴明神社が有名ですが、こちらは安倍晴明の生誕の地と云われています。
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安倍晴明は、古代豪族・安倍氏の出で、平安時代の天慶7年(944)に阿倍野で生まれたと云われています(一説には延喜21年(921)生誕説もあります)。
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安倍晴明の産湯井の跡
安倍晴明は、小さな頃より英明で学問を好み、京都に上がり、陰陽師である賀茂忠行に師事し、陰陽道を修め、やがて天皇や貴族の信を得て出世。寛弘2年(1005)京都の堀川邸で亡くなり、邸跡が晴明神社となりました。
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松虫塚。松虫塚には数々の伝説が残されていますが、この地が松虫(今の鈴虫)の名所であったことに由来します。左写真は樹齢800年の榎(エノキ)の大樹の傍らに立つ塚で、「昔、ある人が親友と二人で阿倍野の松原を通ったが、その一人が節おもしろく鳴く松虫の音を慕って見に行ったまま帰らないので、捜しに行くと友は草むらで死んでいた」そうで、これを葬ったのが松虫塚である、と云う伝説の一つが紹介されています。
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聖天山正園寺(しょうえんじ)。聖天山は寺の山号ではなく山の名前です。今から山に登ります。
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正圓寺は元禄年中(1690年頃)に、この地に移築再興された寺院ですが、それよりも遡る南北朝の頃、この付近には吉田兼好の庵があったと伝わっています。通称「天下茶屋の聖天さん」として親しまれています。
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正園寺の本堂(左)と、本堂の脇に立つ 聖天山山頂 の標識です。聖天山は、大阪五低山の1つです。ちなみに 大阪五低山 とは、天保山(標高:4.53m)・聖天山(標高:14m)・帝塚山(標高:20m)・茶臼山(標高:26m)・御勝山(岡山とも云う。標高:14m)を云います。天保山は日本一低い山として名を馳せましたが、2014年に仙台の日和山が標高3mと認められ、全国では2番目の低い山になってしまいました。茶臼山は「大阪夏の陣」では豊臣方の真田幸村が陣をしいた山として有名ですし、岡山は徳川方の徳川秀忠が陣をしいた山で、戦いの結果、徳川が勝利したので、以後、御勝山とよばれるようになりました。低い山だから「五山制覇は簡単」と思われるかもしれませんが、帝塚山や御勝山は今は立入り禁止なので完全踏破は叶いません。
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聖天山公園。公園広場の向こうに見えるのが正園寺。聖天山は昔は聖天山古墳と呼ばれ、土器・刀剣・馬具類が出土しています。近年の開発で古墳は姿を消しましたが、古墳であった証として、公園の中の一段高い場所に樹木が植えられています(右写真)。
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14時過ぎ、アベノ東急ハンズ前でゴール・解散となりました。写真は、JR天王寺駅東口から見上げた阿倍野ハルカス(左)と、ゴールで参加者全員に配られた「Welcoming アベノ・天王寺」の記念ボールペン2本組です。本日の歩程は 11.9km でした。
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ゴールインが予定よりも1時間ほど早かったので、鶴橋に出ました。焼肉でも食べるつもりだったのですが、日曜日で店も混んでいて、コリアタウンに向いました。ここも昔とは違って、若い女性観光客たちで混雑していて、昔からの懇意な店に立寄り大好きな本場キムチを3種類買って、帰路につきました。