2/3は節分でした。朝から天気は良かったのですが、奈良の節分行事として有名な手向山八幡宮や元興寺や東大寺には何度か訪れていますので、今回は遠慮しました。他にも興福寺・東金堂の追儺会(ついなえ)や、春日大社の節分万燈籠も有名なのですが、まだ見たことがありません。理由は、寒い冬場の夜に行われる行事は、寒さに弱い私にとっては、頭から無視していた行事だったからです。でも今年は何も節分ネタがないのでは淋しい、一度くらいは見ておいても損はないかと、寒い中、夕方から出かけることにしました。
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興福寺・東金堂(とうこんどう:国宝) へ着いたのは、午後5時前(16時55分)でした。午後から天気は曇天に変わり、興福寺についた頃には小雨が降り出し、傘をさす人たちもあり、寒さも徐々に増してきて、折角出てきたのに早くも帰りたい気持ちです。追儺会の儀式は午後6時半から、豆まきは午後7時からなのに、最前列周辺は早くも良い場所をとりたい人たちで埋まっていました。
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興福寺・追儺会の案内ポスター(左)と、東金堂に架けられていた大提灯(右)です。今から1時間半もの間は待てませんので、大急ぎで、先に春日大社に行くことにしました。
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春日大社・一之鳥居。ここから春日大社の境内に入り、表参道を歩きます。
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表参道には、「神恩感謝」や「家内安全」などを記して献灯された行燈(あんどん)が立ち並んでいました。鹿もまだ塒(ねぐら)につかず、参拝者や観光客に餌をねだっています。
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奈良公園を縦断する国道169号線を渡った表参道には「節分万燈籠」の大きな置き行燈が飾られていました。
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あたりは徐々に暗くなり始めて来ました。鹿君はまだ餌をねだるため、あちこちで待ち受けています。
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午後5時20分、春日大社・二之鳥居 に到着です。小雨も殆どやみ、やや暗くなって石燈籠の明りもいい感じです。
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節分万燈籠:春日大社の境内3000基にも及ぶ燈籠(石燈籠や吊燈籠)は、800年前の昔から今に至るまで、貴族や武士や一般庶民から奉納されたものです。年2回、2月の節分の日と、8月14-15両日の夜、これら全てに火が入れられます。前者を節分万燈籠、後者を中元万燈籠と云います。全燈籠に灯がともるのは午後6時頃とのことでしたが、既に全燈籠に灯がともされていました。
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春日大社・楼門前から通行規制となっていて、春日若宮社まで行くと、春日大社・楼門前に向かって長い行列が出来ていました。神社内では舞楽奉納が行われていて、これが終わる午後6時半頃から、入場して吊燈籠などが見学できますが、有料となっています。まだ入場まで小1時間ほどあり、とても待ってまでして入る気はしません。一旦、楼門前まで戻ります。
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楼門前から振り返って見た、行列の先頭集団です。
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春日大社・南門(重文。楼門形式)。中に入れるかと警備の人に尋ねると「見学は並ばないとダメですが、参拝するだけなら拝殿前まで入れます」とのことで、とりあえず入ってみました。
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回廊前の石燈籠も灯が入ると、昼間とは違った趣があります。
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境内には、参拝や、御神籤や御守りを買う人たちがちらほら。本殿方面や、青銅製の吊燈籠が並ぶ西側回廊方面へはロープが張られていて入れません。結局、楼門から退場しました。
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楼門近くから見た、若宮社方面へと続く燈籠。このあと興福寺へと戻ることにしました。
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二之鳥居へ戻ると、次から次へと見学に行く人たちとすれ違います。寒いのに皆さん元気です。
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午後6時半、興福寺東金堂まで戻ってきましたが、まだ追儺会は始まっていません。小さな子供、身障者の人、それに70歳以上の高齢者は「豆まき」の争奪戦に加わらなくても、特別に「福豆」が貰えます。関係者の人に尋ねると「追儺会が終わる午後7時過ぎからの配布となりますので、あちらで並んでください」とのこと。またもや寒い中で30分待ちでは私の身が持ちません。折角の優遇も諦めて帰路につくことにしました。
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振り返って見た、夜の興福寺の 東金堂(左:国宝)と五重塔(右:国宝)です。行事の類は時間待ちばかりで見学せず、雰囲気だけを味わった節分でした。本日の夜の節分ウォークは 9.2km でした。足慣らしには丁度良い距離でしたが、寒さには勝てませんでした。