今や半年に1回の割合で行っている、高校時代同窓生の有志会。前回(昨秋)に「次回(来春)は4月の上旬頃に、宇治川派流の十石舟に乗って満開の桜を見た後で宴席を」と企画内容を決め、各々の都合も考慮して4月10日に日時を決定しました。ところが今年の異常な天候異変で、3月半ばから一気に気温が急上昇し、あれよあれよと云う間に桜の開花が進み、3月下旬には関西各地とも満開となってしまいました。当日(4/10)は、もう葉桜になっているのは間違いなしと、諦めながら出かけました。
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京阪・中書島駅に停車する8000系特急車両です。就職した当初は、自宅(京都市)から会社(大阪市)まで、この京阪・特急に乗って通勤していました。その当時と車両は変わりましたが、特急専用色の赤と黄のツートンカラーと鳩のヘッドマークは、今も変わってないのが嬉しいです。京都・七条~大阪・京橋間はノンストップだった特急も、今では中書島や枚方市などの途中の駅にも停まるようになったことに時代の流れを感じます。本日の集合地は、この京阪・中書島駅でした。
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今回の参加者は男性6名、女性5名の計11名です。早速、予約していた十石舟・乗船場である宇治川派流の弁天橋へと移動です。
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巡航から戻ってきた十石舟。入れ代わりに私たちが乗り込みます。
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十石舟に乗って、ゆっくりと宇治川派流を巡ります。桜並木は新緑の葉桜になっていましたが、柳の新緑も混ざって、それなりに春らしい雰囲気は感じられました。やがて、濠川(ごうかわ)や新高瀬川と合流します。
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広々とした濠川から伏見港公園付近をめぐります。前方の「伏見みなと橋」をくぐると‥
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三栖閘門(みすのこうもん)です。三栖閘門は、大正時代に宇治川の大洪水が発生し、これを機に宇治川築堤の大改修工事が行われました。このため宇治川と宇治川派流(濠川)との間に水位差(約4m)が出来て船が航行出来なくなってしまい、閘門を設けることになり、昭和4年に完成しました。その後、宇治川に天ヶ瀬ダムが出来て宇治川の水位は低下し、一方で陸上運送が発達し船による運搬が衰退したため、昭和37年にその役割を終えました。構造はパナマ運河と同じ方式で、ここで2つの川の高低差を調整して船の往来をしていました。平成10年、伏見港開港400年を記念して、十石舟が復活し遊覧を行っています。
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三栖閘門で一旦下船して‥
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三栖閘門資料館 を見学しました。ここは過去にもウォークで来たことがありますが、十石舟から来たのは初めてです。
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資料館に展示されている 江戸時代の伏見港の復元模型(左) です。昔の伏見港は小さな川と島が複雑に組み合わさっていました。模型の右端中央の黒い枠に囲まれている所が伏見奉行所でした。現在の伏見の地形地図(右)を、左の模型に合わせてみました。明治期に川の幾つかは埋立てられて島と繋がり、陸地に変わりました。中書島と云う地名は、昔ここが島であったことの名残りです(写真をクリックしますと拡大します)。
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資料館の見学を終えて、再び十石舟に乗船して弁天橋へと戻ります。
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宇治川派流の京橋をくぐりますと、丁度寺田屋の南側に出てきます。ここは‥
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寺田屋事件で重傷を負った坂本龍馬が治療回復のために、お龍との新婚旅行を兼ねて、西郷隆盛たちと一緒に鹿児島へと旅立った地です。何度も取り上げている「龍馬とお龍・愛の旅立ち像」を十石舟から見上げます。
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弁天橋で下船して、宴会場所に移動です。月桂冠・大倉記念館の前を通り過ぎ‥
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12時15分、龍馬通りにある、本日の会場「咲蔵(さくら)」に到着です。いつも「鳥せい本店」で行っていたのですが、今日は系列のこちらの店で行います。
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まずはビールで乾杯し、あとは各々好きな伏見の清酒を次々に飲み比べました。写真は北川本家(神聖)の3種セットです。食べて飲んで話して、咲蔵で3時間半を楽しく過ごし、更に月桂冠・夢百衆に席を移して喫茶で夕方まで旧交を温め、次回での再会を約して帰途につきました。