大宇陀で佐吉の石仏等を見たあと、時間が余りましたので、久しぶりに大宇陀地区を回ってみました。この地区は昔から親友と一緒に、季節を問わず、いろいろとウォークで歩き廻ったことが懐かしく思い出されます。
★八咫烏神社(やたがらすじんじゃ)
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八咫烏神社の御祭神は、ご存知、建角身命(たけつぬみのみこと)です。古事記や日本書紀によると、神武天皇東征の時、熊野から大和へ入る山中を導くため、天上の天照大神(あまてらすおおみかみ)より遣わされた八咫烏が道案内を務めたとあります。その八咫烏は、建角身命の化身であったと云われています。
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八咫烏神社の拝殿。創建は「続日本記」によりますと、第42代・文武天皇の時代、慶雲2年(705)に八咫烏社を祭るとの記述があるそうです。本殿は拝殿の向こうの石段上の山の中腹にありますが、拝殿より先は禁足となっています。飾り気のない、とてもシンプルな、気持ちの良い神社です。
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拝殿前の左右に配された、いかつい顔の狛犬です。年代・作者不詳ですが、大作りな感じがします。
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境内にある、サッカーボールを頭にのせた3本足の ヤタガラスの像 です。日本サッカー協会が、協会のマークとして「ヤタガラス」を採用・図案化したのは昭和6年(1931)のことでした。それから50数年後の 昭和63年(1988)に、日本代表監督に就任した横山謙三の意向により、日本代表公式ユニフォームの胸に「日の丸」に代わって「ヤタガラス」が付けられるようになり、一気に知られるようになりました。
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拝殿の中には奈良県吉野の清酒「やたがらす」が奉納されていました。
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境内から鳥居を通して、真東に 伊那佐山(いなさやま)が望めます。伊那佐山は神武天皇伝説がある山です。神武東征の折、ヤタガラスの先導により熊野の難所を越えて大和国宇陀へと出てこられた神武天皇は、ここに陣所を構え、大和へと出立されました。山頂にある都賀那岐(つがなき)神社の前には神武天皇の歌碑が立っています。
★阿紀神社(あきじんじゃ)
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第10代・祟神天皇の時代、天皇は皇女・豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に、皇居に祀っていた天照大神の御鎮座地を別の地に求めるように命じます。豊鍬入姫命は54年間 畿内を巡行されるも、大神の御神託はなく「吾、日たりぬ」と、姪の倭姫命(やまとひめのみこと、垂仁天皇の皇女)に引き継がれます。倭姫命は三輪の地を旅立たれ、この宇陀の阿騎野の地に着かれ、ここに社殿を立てて「宇多阿騎宮」と名付け、4年の間、大神を祀りました。阿紀神社はすべて伊勢神宮と同じ様式となっていて、鳥居も伊勢神宮と同じ伊勢鳥居です。
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本殿は拝殿と板垣に囲まれていて、南向きの神明造りと、伊勢神宮と全く同じ建て方となっています。
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本殿の御祭神は言うまでもなく天照大神です。
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阿紀神社のすぐ近くの山の頂上にある 高天原(たかまがはら)。ここは阿紀神社の旧社地で、平安時代に現社地に遷宮されるまでは、この高天原で天照大神が祀られていました。
★万葉公園と人麻呂公園
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小高い丘の上にある、万葉公園。日本書紀の推古天皇19年の5月5日条に「菟田野(うだのの)に薬猟(くすりがり)す」とあります。菟田野は宇陀野のことで、この辺りの阿騎野(あきの)一帯をさしています。丘の上には、柿本人麻呂の歌碑が立てられています。”ひむがしの 野にかぎろひの 立つ見えて かへりみすれば 月かたぶきぬ"
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薬猟(くすりがり)では、男たちは馬に乗り、鹿を狩ります。鹿の角は毎年生え変わり、生え始めの幼角は、古来から強壮・強精・長寿の効能があるとされ、薬として用いられました。
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女の人たちは、野原で薬草を摘みました。この年は宇陀野での薬猟でしたが、毎年場所を変えて、古代人たちは薬猟を楽しみました。記録に残るところでは、翌年は高市郡高取で行い、天智天皇7年には滋賀県蒲生野で天智天皇、大海人皇子、額田王たちが薬猟を楽しみ、”あかねさす 紫野行き標野(しめの)行き 野守は見ずや 君が袖振る” と額田王の有名な歌が残っていますね。
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万葉公園・かぎろひの丘を下り、阿騎野・人麻呂公園に下りて来ました。公園内に建つ、馬に乗った 柿本人麻呂像 です。このあと、4世紀頃の見田大澤古墳群を訪ねたあと、帰路につきました。