★シルバー健康ウォーク11月例会「瓜生山から狸谷不動院へ」 11/3
今回のコースは2年前に「一乗寺から狸谷不動院」ウォークが行われた時、都合で「狸谷不動院」がカットされてしまった経緯があり、私にとっては、いわばリベンジを兼ねた参加となりました。メインの瓜生山は、京都市左京区に位置する山で、比叡山(第1峰)から稲荷山(第36峰)までの「京都・東山36峰 の 第8峰目」に当たります。
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朝9時50分に京阪・出町柳駅に集合、本日の参加者は37名でした。出町柳から今出川通りを東進。京大を過ぎ、哲学の道 を少しだけ歩き、銀閣寺の手前で左折、京都一周トレイルに合流します。先般のNHK総合TVの京都版ニュースでも「現在、京都一周トレイルは台風の影響で壊滅的状況にあり、通行止め区間でなくても非常に危険な状態にあり、行かれる方は十分な注意をして下さい」と報道されていました。
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北白川バプテスト病院の横を流れる小川に沿って、いよいよ山へと入って行きます。
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山道の途中にある 北白川大山祇(きたしらかわおおやまづみ)神社 を通過します。ここの 阿形狛犬 が面白かった!大きな口を開けていて、足元には賽銭箱代りの容器が置かれていましたが、まるで狛犬が空っぽの食器を前にして空腹に耐えかねて泣き叫んでいるように見えたから不思議です。次に来る時はドッグフーズが必携かも。
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倒木が点在する荒れた山道を登っていくこと、20分強で小さなピークに到着です。東山36峰の第7番目・茶山(ちゃやま、標高:180m)です。ここで小休止です。
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清沢口石切場跡。今から7千万年ほど昔、この瓜生山のあたりに地下のマグマが噴き昇ってきて地層の隙間に貫入しました。つまり噴火しないで溶岩が地表を押し上げてしまったのです。その範囲は比叡山の南方から大文字山北方に至るまでで、しかも高さは比叡山を遥かに越す高い山となったのです。普通、噴火で噴出した溶岩は玄武岩や安山岩となりますが、噴火せず地中で長い期間をかけて冷却されると花崗岩になります。ここの花崗岩は特に結晶粒子が大きく美しかったので「白川石」と呼ばれ、平安時代の頃より盛んに掘り出されました。
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台風による倒木はいたるところで、こんな感じでした。昨日の新聞にも、金剛山や生駒山などをはじめとして、関西各地の山の被害は想像もつかないほど甚大で、復旧には長い年月が必要、と書かれていました。
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京都一周トレイルと狸谷36童子巡礼道(元将軍地蔵尊道)との合流地点、トレイル標識 No59-1 です。黒の太い実線が京都トレイルの道、破線が狸谷36童子巡礼道です(ここはアトでもう一度出てくる大事なポイントとなりました)。
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道筋に次々と36童子像が出てきます。左は第34番「ぜんにし童子」、右は巡礼道・最後の第36番「うばけい童子」です。もう少しで頂上です。
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東山36峰・第8峰目の 瓜生山の頂上(標高:301m)に到達です。倒木の向こうにある赤い祠は 狸谷不動院・奥の院 です。
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奥の院の裏手に 石室 があります。延文6年(1361)山頂に戦勝祈願の地蔵堂が建てられ、そこに甲冑を付け、右手に剣、左手に軍旗を持って騎乗する「勝軍地蔵」の石像が安置されました。そのため瓜生山は、勝軍地蔵山とか北白川城山とも呼ばれました。将軍地蔵自体は、江戸時代に山麓に移され、更に別の場所(禅法寺)に移転してしまいましたので、今では、ここは 元将軍地蔵 と呼ばれます。
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瓜生山の山頂で昼食となりました。
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瓜生山の山頂から南方を展望。すぐ手前に大文字山、そして遥か彼方に生駒山や金剛山が霞んでいました。
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昼食後は下山し、狸谷不動院へ向います。
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途中から36童子像も現われます。急な坂道では鎖場となっていて、慎重に下っていきます。
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下りきった所から、真下に 狸谷不動尊の本堂 が見えています。しかし、右手は絶壁のような崖で、とても下へ降りることは出来ません。ここから先は再び登り道になっています。手分けして下り道がないか探し廻りますが、1本道で分岐道は見当たりません。先に進むしか手はないようです。そしてハァハァ言いながら登ってきたら‥
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頂上手前で見た、あの No59-1 の標識の所に再び出てきたのです(今度は破線ルートから出て来ました)。下山する道だったハズが、いつの間にか頂上へ行く道になっていたのです。まるでキツネにつままれたみたいです。いや、場所柄 タヌキに化(ば)かされた と言った方がいいかもです。冗談はさておき、どうするか?再び頂上まで行って新たに狸谷不動院へ下りる道を探すか、諦めてここから朝来た道を戻って下山するか、全員で思案します。結果は、37名中31名が朝来た道で下山するを選び、私を含めて6名が再度頂上に上がり、狸谷不動院へ下りる道を探すことを選び、ここで二組に分かれて帰ることになりました。
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本日、二度目の瓜生山頂上です。今度は下山道を注意深くチェックします。先ほどは一つ目の分岐点を曲がって下りたのが大失敗でしたので、ここは通り越して、二つ目の分岐点を曲がって下ることにしました。
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更に次の分岐道に入りますと36童子像も出て来ましたが、もう写真どころではありません。今度間違ったら、リベンジしに来た意味もなくなってしまいます。周囲の状況から、この道は順調に狸谷不動に向って下りているようでした。そして第1番目の童子像を過ぎ、鳥居をくぐると狸谷不動院でした。
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山の傾斜地に建つ 狸谷不動院・本堂。清水(きよみず)の舞台みたいです。修験道の場を探していた朋厚法師は、正徳5年(1715)洛北一乗寺村の狸谷と呼ばれるところに高さ、深さとも2丈からなる洞窟の存在を耳にします。この洞窟に来てみると古い仏像に出会い、流れ落ちる滝が剣豪・宮本武蔵の修行の場であり、ここで己に克つ不動心を感得したことを知り、享保3年(1718)ここに狸谷山修験道の礎をつくったのです。宮本武蔵の修行の滝などを見ながら、どんどん下山します。
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八大神社 に立ち寄りました。宮本武蔵 は吉岡一門との決闘を前にして、神社に戦勝祈願に来て拝殿の鈴口に手をかけようとしますが、彼の本質がにわかに湧き上がり、その気持ちを一蹴して、鰐口の鈴を振らずに、また祈りもせずに、そのまま下(さが)り松の決闘の場へ駆け向ったと云います。”武蔵が自分の壁書としていた独行道のうちに「我れ神仏を尊んで 神仏を恃(たの)まず」 と書いているその信念は、その折ふと心にひらめいた彼の悟道だったにちがいない”(吉川英治著「随筆 宮本武蔵」より)。
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武蔵と吉岡一門との決闘の場となった 一乗寺・下(さが)り松 です。現在の松は四代目です。
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叡電・一乗寺駅から電車で帰るのが当初の予定でしたが、時間もまだ早かったので、スタート地点の出町柳まで6名で更に歩くことにしました。写真の叡山電車デオ730型は1988年から運行している車両ですが、2015年9月より叡山本線開業90周年を記念して、開業当時のデナ1型車両をイメージした「ノスタルジック731」として運行され、更に2018年3月からは「神秘的な雰囲気」や 「時空を超えたダイナミズム」といったイメージを「楕円」というモチーフにした観光用車両「ひえい」として運行されています。車両前面の奇抜なデザインが目を引きます。
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15時、出町柳駅に到着・ゴールとしました。地上駅舎は叡山電車で、京阪電車は地下駅となっています。
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本日のウォーク・マップ、歩程は 10.6km でした。