正月三ヶ日を家で引き篭もっていた私は、その後近くの里山などを散策するだけで、新年の行事とは無縁でした。そこで1/10になって、せめて「十日戎」くらいは見に行こうと、やっと重い腰を上げ、大阪の今宮戎神社と住吉大社を訪れ、翌日の1/11は京都でのウォーキングに参加した後に、個人的に護王(ごおう)神社を訪れました。訪問順序的には逆になりますが、今年の干支・亥(いのしし)を優先し、まずは京都の護王神社の初詣です。
★京都・護王神社 1/11
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京都御所の西側に位置する護王神社は、「いのしし神社」とか「足腰の守護神」として親しまれています。私が育った実家からも比較的近くて、子どもの頃を思い出させる懐かしい場所の1つでもあります。今年は亥年だけに、1/11になっても初詣客がいっぱいで、静かな神社の姿が撮れませんでした。写真は、以前に撮っていたもので、烏丸通りから見た、護王神社の正面姿です。
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石鳥居の下には迎春看板が掲げられていました。
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石鳥居前の左右に居るのは、狛犬ならぬ 狛イノシシ です。
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表門から境内に入り、右手にある 霊猪・手水舎 に向います。このブロンズ像の猪の「鼻をなでると幸せが訪れる」と云われていて、鼻の上はピカピカです。
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境内中央にある拝殿には大きな干支絵馬が飾られています。
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拝殿前にも、左右に霊猪が居ます。
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拝殿の奥手にある 中門 です。本殿はこの奥にあり、お参りはここで行います。
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護王神社の祭神は、和気清麻呂(わけのきよまろ)公 です。和気清麻呂公は、天平5年(733)現在の岡山県和気町で生まれ、長じて奈良の都へ上り、朝廷に仕え、天皇からも厚い信頼を得ていました。ところが、奈良時代末の神護景雲3年(769)当時、法王となり権勢をふるっていた僧・弓削道鏡(ゆげのどうきょう)が、「道鏡を天皇にせよ」という九州・宇佐八幡のご神託があったとして、天皇になろうとたくらみます。清麻呂は、そのご神託の真偽を確かめるため宇佐八幡へ赴き、ご神託が偽物であったことを報告。道鏡の野心を阻止するも、称徳天皇や道鏡に官職を解かれ、清麻呂は大隅国(鹿児島)に流罪されます。九州への旅の途中、清麻呂は道鏡の放った刺客に襲われ、足の筋を切られる大怪我を負いますが、その時、300頭もの猪が現われ、清麻呂の周囲を護りながら宇佐八幡まで案内し、無事到着すると猪たちは姿を消してしまいました。清麻呂が宇佐八幡に参拝すると、足の痛みが不思議と治ってしまったのです。やがて、道鏡は失脚し、称徳天皇も崩御すると、光仁天皇の時代となり、清麻呂は都に召還され再び天皇の信頼を得て、更に光仁の子息・桓武天皇と共に、奈良・平城京から長岡京を経て、京都への遷都(平安京)を実現しました。そうしたことがあって、次第にイノシシは清麻呂公の護衛役と位置づけられ、清麻呂公を祀る護王神社は足腰の守り神として今に至っています。
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本殿に向って右側に、招魂樹(オガタマノキ)があり、根元には「願かけ猪」の石像があり、その周りには 座立亥串(くらたていぐし)と云う、願かけの串がたくさん地面に突き刺さっています。自分の名前と願い事を書いた紙札をはさんで、願かけ猪の前に刺し立てて願かけをするという、この神社独特の風習です。また、猪に助けられて清麻呂の足萎え(あしなえ)が回復したという古事から、足腰の病気・怪我回復の御利益があるとされ 足萎難儀回復の碑 があり、参拝者は足形の石の上に乗ったり、碑をさすったりして足腰の病気やけがの回復を祈願します。昨今の中高齢者ウォーク人口の増加で安全祈願も兼ねて、長蛇の列が出来ていました。
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境内の一角でイノシシの本物特別展示が行われていました。*あとで知ったのですが、イノシシの展示は本日(1/11)から1/14までの期間限定展示とのことでした。
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「かりん」と「もも」と云う名前の2頭のイノシシがいました。護王神社から帰宅後の夜、NHK京都のTVニュースでは護王神社の初詣風景が放送され、首輪を付けて境内を散歩したり、お辞儀をしたりしている、このイノシシたちが紹介されていました。
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「かりん」は大変おとなしく、珍しい白い毛のイノシシでした。大分県の産とのことでしたので、ネットで調べてみたら、それと関係のあるような白猪の動画がありました → こちらで見られます。
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境内には色々の猪コレクションも展示されています。これは吉野山で採木された天然の 霊木猪
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こちらは神代杉から加工された 撫で猪
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最後に、護王神社と和気清麻呂がモデルになった 日本銀行の10円兌換券(正貨の金貨などに交換が出来る紙幣)です(クリックしますと画像が拡大します)。
(左上)明治33年(1899)発行の甲10円券の表面‥右に和気清麻呂、左に護王神社の拝殿が描かれました。
(左下)上記と同じ甲10円券の裏面‥和気清麻呂の守護獣であるイノシシが描かれています。
(右上)大正4年(1915)発行の乙10円券の表面‥右に護王神社の本殿、左に和気清麻呂が描かれています。我が国のお札では、唯一左側に肖像が描かれた大変珍しいデザインです。裏面は画像なし。
(右下)昭和5年(1930)発行の丙10円券の裏面‥中央に護王神社の本殿が描かれています。表面の写真は載せませんでしたが、右に和気清麻呂が描かれています(肖像の位置は左から右に戻されました)。

護王神社と和気清麻呂とイノシシは、切っても切れぬ縁として、戦前までは、お札としても広く日本人に親しまれてきました。