★シルバー健康ウォーク 2月例会「東高野街道」 2/1
東高野(ひがしこうや)街道:かつて京都から高野山への参詣道として用いられた街道です。数ある高野街道のうち、いちばん東側に位置する道筋で、京都の石清水(いわしみず)八幡宮から、生駒山系の西麓に沿って南下し、大和川を渡り、河内長野市で西高野街道と合流したあとは、呼び名も高野街道となり、紀見峠・橋本を経て高野山へと至る道です。今回の例会では、京街道との分岐点で東高野街道の起点にあたる京都府八幡市(石清水八幡宮)から大阪府枚方市を経て交野市郡津(こうづ)までを歩く予定です。
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JRから京阪に乗り換えて、京阪・八幡市駅 に9時40分頃に到着。集合は10時でしたが、近鉄から京阪に乗り換えて参加する人たちが、近鉄の事故で到着が遅れ、スタートしたのは10時25分でした。本日の参加者は30名でした。
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駅からすぐ東の放生川の全昌寺橋を渡ります。このあたりが京街道から東高野街道への分岐点です。
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飛行神社。日本で初めてゴム動力のプロペラ式飛行機を発明した二宮忠八が創設した神社です。祭神は饒速日命(にぎはやひのみこと)で、日本神話において天磐船(あまのいわふね)に乗って地上に降臨したとされたことから、交野市の磐船神社から勧請されて、空の神・飛行機の神として飛行神社の祭神に選ばれました。航空業界、宇宙開発業界の関係者や空の安全を祈る人々が訪れます。境内にはF104Jジェット戦闘機のエンジン部分や、大阪湾から引き上げられたゼロ戦のプロペラ付き機首部などが展示されています。
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石清水八幡宮の安居(あご)橋 は、放生川に架かる反(そ)り橋で、市民からは「たいこ橋」として親しまれています。江戸時代にはこの橋を渡って、石清水八幡宮に参拝したのでしょうが、今は京阪電車八幡市駅を降りると、すぐ隣のケーブルカーに乗り変えて、男山山頂に上がって石清水八幡宮に参拝する人が殆どとなりました。
石清水八幡宮:大分県宇佐市の宇佐八幡宮、神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮と並んで日本三大八幡宮の1つです。男山の山頂にありますので、京都の人は「男山八幡」と呼ぶことが多いです。
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東高野街道の起点・石清水八幡宮から南方へ向って、旧街道を歩きます。
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正法寺。源頼朝の御家人で石清水八幡宮の社家・志水氏の祖となった高田忠国が開基となり、建久2年(1191)創建した寺と伝わっています。
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街道の途中に、木造の赤い鳥居がある派手な建物がありました。一見、旧遊郭かとも思える建物ですが、近付いて鳥居の扁額を見たら「泥松稲荷大神」とあり、気になって帰宅後調べてみました。ふつう、稲荷神社と云うと狐ですが、ここのお稲荷さんは狸なんだそうです。昔、もみじ寺の近くにあった祠に狸が住み着き、悪戯を繰り返していたと云う。或る日、この狸は村人にお仕置きをされ、弱りきっていたところを、もみじ寺の庵主に手厚く看病され、すっかり元気になると、庵主と一緒に祈りを捧げるようになったという。狸の名は「どろ松」といい、どろ松が亡くなると庵主は朝夕おつとめをして、その御魂を安らかにしたと云う。
すると、庵主にどろ松の霊力が乗り移り、占いが良くあたるようになったと云う。この噂は京都や大阪に広がり、「どろ松のお狸様」と呼ばれ「どろ松大明神」の社と鳥居が奉納されたそうです。
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松花堂(しょうかどう)表門 です。松花堂は、江戸時代初期の僧侶(石清水八幡宮の社僧)で文化人であった、松花堂昭乗がその晩年の寛永14年(1637)に構えた草庵の名称です。2万2千㎡の広大な庭園の中には、草庵「松花堂」や、書院などの文化財があり、露地庭や枯山水と共に趣のある風景を創り出しており、国の史跡・名勝に指定されています。名前からも想像出来ますように「松花堂弁当」の発祥の地 でもあり、敷地内には京都吉兆・松花堂店が併設されていて、庭園を観ながら松花堂弁当を味わうことができます。庭園内に小山があり、その景観を取り入れて庭園を築いたが、この小山が4-5世紀頃の前方後円墳(車塚古墳)だったことを知らないまま、庭園を築いたそうです。明治になって発掘調査された時、貴重な埋葬品は、散在・拡散されてしまい、ほとんど行方不明になってしまいました。
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松花堂庭園入口横にある休憩所で小休止です。
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小休止のあとは竹林の中の道を円福寺に向かって歩きます。
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達磨堂円福寺 に到着。円福寺は臨済宗妙心寺派の禅寺で、修業道場の場でもあります。通常は非公開で、日本最古の達磨大師坐像があります。この辺りは京都府と大阪府との府境で、国道1号線のすぐ傍で、有名な 洞ヶ峠(ほらがとうげ)もすぐ近くです。本能寺の変のあと、明智光秀と羽柴秀吉との山崎の合戦が行われた時、光秀に助勢を頼まれた大和郡山の筒井順慶はこの峠まで出陣したものの、戦況の有利な方に味方しようと観望していた場所として有名です。この故事から日和見することを「洞ヶ峠を決め込む」とも言いますね。
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大阪府の枚方市に入り、国道1号線にほぼ並行した裏手の道(東高野街道)を歩きます。団地内の町名標識板にも高野道の名前が。
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国道1号線に合流し、ひたすら南に向って歩きます。もうお昼も廻っていますが、場所柄、お弁当を食べる場所もありません。新池と云う大きな池があり、ここで食事が出来るかもと、頑張って歩いて来ましたが、全く休めるような場所はありません。仕方なく山田池公園まで昼食はお預けです。
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13時、山田池公園北出入口に到着。枚方八景の1つに数えられる山田池は、およそ1200年前(平安時代)に築造されたと云われています。ここで昼食となりました。昼食後はゴールの京阪交野線・群津(こうづ)駅まで歩く予定でしたが、私はここでドロップ・アウトする旨、リーダーに申し出て、皆さんとお別れしました。
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山田池公園は、大阪府営公園で総面積は73.7ha(ヘクタール)、野鳥や植物も豊富で、私も年3回くらいは個人的に訪れている、お馴染みの場所です。皆さんと分かれたあとは野鳥観察を少し楽しみました。一昨年の秋に水抜きをした影響もあって、水鳥がめっきり少なくなっており、まだ池も1/4ほどは干上がったままです。池の周囲の春日山はオオタカやハイタカの観察地として有名で、いつも大砲レンズをつけた愛鳥家が沢山並んでいます。私もこの日は肉眼でオオタカの舞う姿を見ましたが、いかんせんコンデジでは成すスベもありませんでした。池はカモ類などの水鳥の観察、園内の林の中では色々な野鳥も見られます。オシドリは少しだけ来ているとのことでしたが、この日は全く確認できず、小一時間園内を散策したあと、JR藤阪駅に向いました。
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15時丁度、JR学研都市線・藤阪駅に到着、帰途につきました。
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本日の歩程、京阪・八幡市駅からJR藤阪駅まで 13.6km、所要時間4時間40分(休憩含む)でした。