緊急事態宣言が解除されて2週間後の5月下旬、久しぶりにのんびりと奈良公園へ散策に行きました。
京都府との県境となる奈良県・佐保山丘陵を過ぎた所から、いつものように、散策スタートです。まず 佐保山丘陵の南麓にある 第45代・聖武(しょうむ)天皇陵 に立ち寄ります。聖武天皇は、ご存知の通り、天皇に即位したあとは、次々に起こる災い(政権争い、大地震、天然痘の大流行など社会不安をもたらす数々)に遭遇し、平城京から京都(当地の恭仁京)や滋賀(紫香楽京)や大阪(難波京)に遷都を繰り返す中で、仏教に深く帰依し、行基とともに平城京に東大寺を建立し大仏を造り、中国(唐)から鑑真を招くなどしたことで有名ですね。
京都府との県境となる奈良県・佐保山丘陵を過ぎた所から、いつものように、散策スタートです。まず 佐保山丘陵の南麓にある 第45代・聖武(しょうむ)天皇陵 に立ち寄ります。聖武天皇は、ご存知の通り、天皇に即位したあとは、次々に起こる災い(政権争い、大地震、天然痘の大流行など社会不安をもたらす数々)に遭遇し、平城京から京都(当地の恭仁京)や滋賀(紫香楽京)や大阪(難波京)に遷都を繰り返す中で、仏教に深く帰依し、行基とともに平城京に東大寺を建立し大仏を造り、中国(唐)から鑑真を招くなどしたことで有名ですね。
宮内庁の正式陵墓名は 聖武天皇・佐保山南陵(みなみのみささぎ)。考古学的には 法蓮北畑古墳 と云います。
聖武天皇陵の東側に隣接する 仁正皇后・佐保山東陵です。聖武天皇は、太政大臣・藤原不比等の娘・安宿媛 (あすかべひめ)をめとり、皇后(光明皇后)としました。皇族以外から皇后となった最初の人です。石標の仁正皇后(正式には天平応真仁正皇太后)とは、聖武天皇崩御後に光明皇后に贈られた尊号です。皇后は夫の聖武天皇が亡くなると、天皇の遺品を「身近にあると思い出して悲しいから」と東大寺に献納しました。これが正倉院の始まりです。この佐保山丘陵一帯は、他にも元明天皇陵や元正天皇陵など、奈良時代の天皇や皇族の陵墓が数多く見られるところです。
旧・奈良奉行所跡、現在の奈良女子大学の正門前を通り過ぎ‥
丁度11時になりましたので、奈良県庁 に立ち寄ることにしました。鹿さんも青信号で横断歩道を渡りはじめたのですが、よそ見ばかりしていて、渡っている途中に赤信号に変わりましたが、車も少なくて無事渡り終えました。
県庁6階の大食堂 へ直行です。職員用の大食堂ですが一般人も利用できます。11時から開店なので職員の昼休みになる前に、ゆっくり見晴らしの良い場所(正面は生駒山)に陣取って早めの昼食です。本日のお勧めメニュー、温タマ付きミート・スパゲッティをいただきました。
食事を終えた後は、県庁屋上の芝生庭園 で一服です。西方に生駒山がよく見えています。何故か芝生の中に半寄生植物の西洋ヒキヨモギも生えていました。こんな屋上にまで進出するなんて、凄い繁殖力です。
県庁屋上から東方面の展望。東大寺・大仏殿や若草山が目の前です。御蓋山(みかさやま、三笠山とも記す)の下あたりが春日大社です。奈良には高いビルがないので、県庁屋上からの 360°大パノラマ展望 は超おすすめです。
県庁を出て、向かいの 興福寺 境内に入ります。東金堂、五重塔(ともに国宝)あたりは、普段なら観光客も鹿もいっぱいなんですが、殆ど見られず、今は絵葉書のような静かな佇(たたず)まいを見せていました。
一昨年(2018)秋に、300年ぶりに復興された 興福寺・中金堂。最高の行楽日和なのに殆ど人影がありません。
南円堂から猿沢の池に出て、三条通りを東に進み、春日大社に向かいます。車も人もなく、車道をのんびりと鹿が歩いています。
三条通りの終点部であり、春日大社参道の起点となる 春日大社一之鳥居 に来ました。出会う人も2-3人のみ。
一之鳥居から二之鳥居まで、1km以上にわたる長くて広い参道も全く人影なしです。鹿センベイをくれる人がいないから鹿も殆ど出てきていません。
二之鳥居 まで来て、なんとか数人の人たちに出会いました。
春日大社本殿回廊の南門(楼門)。ここは平日でも大勢の人で大混雑するところですが、なんと静かなこと。
南門を潜ると目の前に現れる「幣殿・舞殿」です。本殿へ特別参拝しない人はここで参拝しますが、数人の人がいるだけで受付の巫女さんたちもヒマそうでした。ここで折り返して戻りました。スタート地点までの折返し往復歩程は 10.4km でした。
★おまけ:奈良公園のバンビたち
奈良公園は今(5/中旬~6月)、鹿の出産時期です。妊娠している雌鹿たちは一時的に捕獲されて「鹿苑」と云う施設に集められて安全に出産します。しかし野生の鹿ですから捕獲から逃れた雌鹿もいて、これらは公園内の森林の中で隠れて出産します。
春日若宮社で一服していると、社殿の横から鹿の母子が出て来ました。捕獲されなかった自然出産組です。バンビ(小鹿)はかなり大きくなっており、4月下旬か5月上旬頃に生まれたものでしょう。小鹿は母鹿にお乳をねだり‥
母鹿は私におやつをねだります。ドングリを持ってくれば良かったのですが、出発時に忘れてしまい、ザックから食パンを少し取り出して、やりました。長らく鹿センベイも食べていないようで、もっとくれと云わんばかりに、子供をほっておいて、私についてくるので、心を鬼にして追い返しました。
公園内を注意して歩いていますと、落ち葉のたまった窪地などにバンビが蹲(うずくま)っているのを目にします。バンビの斑点は、なんとなく落ち葉などと保護色になっているような気がしませんか。
あるいは、大きな樹木の根元で隠れるように蹲(うずくま)っているバンビも見かけます。この子たちは母親が食事に行っている間、ジッと待っているバンビたちなので、絶対に近づいたり驚かせたりしないようにしましょう。ちなみに「鹿苑」内で生まれた施設出産組のバンビたちは、7月になれば母子ともに奈良公園に放されて見ることが出来るようになりますが、捕獲されなかった自然出産組のバンビたちに一足早く出会えたのはラッキーでした。
最後に、奈良の鹿愛護会によりますと、近年 奈良公園の鹿の糞がゆるくなっていたそうです。元来、鹿の糞は、黒豆にも例えられるような黒くてコロコロとした丸い糞です。鹿センベイ自体は栄養もあって悪くはないのですが、食べ過ぎると喉が渇き、水を飲みたくなり、結果下痢気味となって糞がゆるくなるそうです。新型コロナの影響で観光客が減ったことで、鹿センベイなしの本来の食(草や木の実)に戻り、鹿が健康を取り戻したと云うのは、なんとも皮肉なことです。
聖武天皇陵の東側に隣接する 仁正皇后・佐保山東陵です。聖武天皇は、太政大臣・藤原不比等の娘・安宿媛 (あすかべひめ)をめとり、皇后(光明皇后)としました。皇族以外から皇后となった最初の人です。石標の仁正皇后(正式には天平応真仁正皇太后)とは、聖武天皇崩御後に光明皇后に贈られた尊号です。皇后は夫の聖武天皇が亡くなると、天皇の遺品を「身近にあると思い出して悲しいから」と東大寺に献納しました。これが正倉院の始まりです。この佐保山丘陵一帯は、他にも元明天皇陵や元正天皇陵など、奈良時代の天皇や皇族の陵墓が数多く見られるところです。
旧・奈良奉行所跡、現在の奈良女子大学の正門前を通り過ぎ‥
丁度11時になりましたので、奈良県庁 に立ち寄ることにしました。鹿さんも青信号で横断歩道を渡りはじめたのですが、よそ見ばかりしていて、渡っている途中に赤信号に変わりましたが、車も少なくて無事渡り終えました。
県庁6階の大食堂 へ直行です。職員用の大食堂ですが一般人も利用できます。11時から開店なので職員の昼休みになる前に、ゆっくり見晴らしの良い場所(正面は生駒山)に陣取って早めの昼食です。本日のお勧めメニュー、温タマ付きミート・スパゲッティをいただきました。
食事を終えた後は、県庁屋上の芝生庭園 で一服です。西方に生駒山がよく見えています。何故か芝生の中に半寄生植物の西洋ヒキヨモギも生えていました。こんな屋上にまで進出するなんて、凄い繁殖力です。
県庁屋上から東方面の展望。東大寺・大仏殿や若草山が目の前です。御蓋山(みかさやま、三笠山とも記す)の下あたりが春日大社です。奈良には高いビルがないので、県庁屋上からの 360°大パノラマ展望 は超おすすめです。
県庁を出て、向かいの 興福寺 境内に入ります。東金堂、五重塔(ともに国宝)あたりは、普段なら観光客も鹿もいっぱいなんですが、殆ど見られず、今は絵葉書のような静かな佇(たたず)まいを見せていました。
一昨年(2018)秋に、300年ぶりに復興された 興福寺・中金堂。最高の行楽日和なのに殆ど人影がありません。
南円堂から猿沢の池に出て、三条通りを東に進み、春日大社に向かいます。車も人もなく、車道をのんびりと鹿が歩いています。
三条通りの終点部であり、春日大社参道の起点となる 春日大社一之鳥居 に来ました。出会う人も2-3人のみ。
一之鳥居から二之鳥居まで、1km以上にわたる長くて広い参道も全く人影なしです。鹿センベイをくれる人がいないから鹿も殆ど出てきていません。
二之鳥居 まで来て、なんとか数人の人たちに出会いました。
春日大社本殿回廊の南門(楼門)。ここは平日でも大勢の人で大混雑するところですが、なんと静かなこと。
南門を潜ると目の前に現れる「幣殿・舞殿」です。本殿へ特別参拝しない人はここで参拝しますが、数人の人がいるだけで受付の巫女さんたちもヒマそうでした。ここで折り返して戻りました。スタート地点までの折返し往復歩程は 10.4km でした。
★おまけ:奈良公園のバンビたち
奈良公園は今(5/中旬~6月)、鹿の出産時期です。妊娠している雌鹿たちは一時的に捕獲されて「鹿苑」と云う施設に集められて安全に出産します。しかし野生の鹿ですから捕獲から逃れた雌鹿もいて、これらは公園内の森林の中で隠れて出産します。
春日若宮社で一服していると、社殿の横から鹿の母子が出て来ました。捕獲されなかった自然出産組です。バンビ(小鹿)はかなり大きくなっており、4月下旬か5月上旬頃に生まれたものでしょう。小鹿は母鹿にお乳をねだり‥
母鹿は私におやつをねだります。ドングリを持ってくれば良かったのですが、出発時に忘れてしまい、ザックから食パンを少し取り出して、やりました。長らく鹿センベイも食べていないようで、もっとくれと云わんばかりに、子供をほっておいて、私についてくるので、心を鬼にして追い返しました。
公園内を注意して歩いていますと、落ち葉のたまった窪地などにバンビが蹲(うずくま)っているのを目にします。バンビの斑点は、なんとなく落ち葉などと保護色になっているような気がしませんか。
あるいは、大きな樹木の根元で隠れるように蹲(うずくま)っているバンビも見かけます。この子たちは母親が食事に行っている間、ジッと待っているバンビたちなので、絶対に近づいたり驚かせたりしないようにしましょう。ちなみに「鹿苑」内で生まれた施設出産組のバンビたちは、7月になれば母子ともに奈良公園に放されて見ることが出来るようになりますが、捕獲されなかった自然出産組のバンビたちに一足早く出会えたのはラッキーでした。
最後に、奈良の鹿愛護会によりますと、近年 奈良公園の鹿の糞がゆるくなっていたそうです。元来、鹿の糞は、黒豆にも例えられるような黒くてコロコロとした丸い糞です。鹿センベイ自体は栄養もあって悪くはないのですが、食べ過ぎると喉が渇き、水を飲みたくなり、結果下痢気味となって糞がゆるくなるそうです。新型コロナの影響で観光客が減ったことで、鹿センベイなしの本来の食(草や木の実)に戻り、鹿が健康を取り戻したと云うのは、なんとも皮肉なことです。
コメント
コメント一覧 (12)
人との出会いを避けて過ごしている昨今ですが、こんなにも人がいない奈良・・・
Bell3さんの複雑な思いが文章から窺われます。
いつもは人が写りこんで撮影も思うに任せない場所が、構図も撮影も思うがままだったのですね。
時々興福寺の阿修羅さんに会いたくなって、奈良にはよくお邪魔したのですが、この頃は機会が
なくなって・・・。
観光地の人のいない情景をこんな風に実際の景として見せて頂くと、いかにコロナが営々と積み
上げた日常を奪っているのか実感します。
素敵な光景を見せて頂いているのに、こんなコメントでごめんなさい。
去年までのような、インバウンド頼りの観光業は今後はありえないでしょうね。インバウンド抜きだとゆっくりゆったりとした本来の観光地を味わうことが出来ますよ(#^^#)
普段は海外の観光客でいっぱいだった、ということでしょうか。
もともとの静かな日本的な風景になりました。
鹿の糞が問題を提起しているようです。
インバウンド頼みは、もう考えなおす時期になったのではないでしょうか。
自給自足の生活が出来ればいいですね。
コメント有難うございます。
仰る通り「いつもは人が写りこんで撮影も思うに任せない場所が、構図も撮影も思うがままだった」のです。その割には下手な写真ばかりで我ながらガッカリです。思い返せば、奈良公園は今まで四季を問わず、平日であっても、海外からの観光客が増加する一方でしたが、コロナで一変しました。鹿もビックリしたでしょうね。「鹿センベイをもらえず、お腹を空かせているのでは」と云う心配する県外からの投書も多かったと聞きました。鹿センベイは単なるおやつで、主食ではないので杞憂に過ぎないのですが‥。また機会があれば奈良にお越しください。鹿も喜びますよ。
コメント有難うございます。
コロナは今や米中の政治的な争い問題になってきましたね。好景気を背景に伸長してきた世界経済全体が、この二大国の争いにどう変化するのでしょうね。出入国制限が続くとインバウンドも期待できませんね。昭和の時代まではインバウンドなんて全く期待もされていなかったのに、この旨味を知った観光業はもう、もう元には戻れないでしょうね。
コメント有難うございます。
当地と奈良市は隣接していますので、月に1回以上は奈良公園へ散策に行っていましたが、平日でも大勢の観光客、特に海外からの観光客で賑わっていました。昭和の時代までは、日本的な静かな風景を日本人が求めて旅するいい時代でしたね。でも中国をはじめとして世界の急伸長のもとに、インバウンドの旨味を知った観光業はもう、もう元には戻れないかもしれませんね。
コメント有難うございます。
奈良や京都に行ってきましたが、緊急宣言解除後2週間も経つと云うのに、全くと言っていいほど観光客がいない状態なんて、初めての経験です。これほどまでに海外からの客に頼っていたことが実感できました。修学旅行は、仰るように、どうされるのでしょうね。貴重な体験・思い出づくりはさせてあげたいですね。先ほどニュースでセンバツ出場予定校が、夏に甲子園で試合が出来るようになったと伝えていました。良かったですね。
其からの一年後、世界観が変わりましたね。ホント!?
が、非日常が日常に戻りつつある。みんな、ウズウズしている。私もソロソロ動き始めたいな。ー奈良県庁の屋上の芝生広場いいですね。(土日祝祭日は入れますか?)ちょっと奈良へ行こうかなー今度は、南の方面へ
コメント有難うございます。
昨年は奈良へお越しになっていたのですね。冬場は仰るように、寒いので公園歩きは少ないですが、東大寺や興福寺や春日大社など寺社観光客は結構ありますね(インバウンドの観光コースに入っているのでしょうね)。8割は外国人で日本人は少ないです。奈良県庁は、5/25から屋上見物を再開させましたが、残念ながら、土日祝は県庁が休みですので館内には入れません。平日は8時半~17時半まで屋上に上がれます(食堂は11~14時のみ利用可です)。
コメント有難うございます。
もう6月も下旬となり、観光客も少しづつ増えてきたようで、こちらでは、鹿センベイをねだっている姿がTVニュースでも紹介されています。やはり、鹿でも「おやつ」は別腹なんでしょうね。 7月になれば鹿苑で生まれたバンビたちも奈良公園に開放されますので、又見に行きたいと思ってます。