元日と2日は共に、朝からのお祝酒で眠気に襲われてダウン。それも、たかが銚子2本程度で…。少量のお酒ですぐ気持ち良くなれる、経済的な身体にスッカリ変身してしまいました。「酒は呑んでも、酒に呑まれたことは一度たりとも無し」と40数年間豪語していた自分が嘘のようです。でもこの身体と心の変化こそ、人生の歩み・年を重ねた証しと、素直に受け入れざるを得ません。
 そこで、3日目はお酒抜きでおせち料理だけを頂き、昼過ぎから重い腰を上げて、寒い中、地元・加茂町内の神社へ初詣兼初ウォークに出掛けました。

(1)御霊神社 <重要文化財>

 御霊神社は、もとは同じ場所にあった燈明寺(灯明寺・東明寺とも)の鎮守社でした。燈明寺は明治の廃仏毀釈で荒廃し、三重塔も本堂も順次、横浜の三渓園に売られていきました。今、この二つともが重要文化財に指定され、関東最古の塔として名を馳せていることを思えば、売却にはいろんな理由があったのでしょうが、京都府も加茂町も貴重な文化財を失ってしまったことです。燈明寺にあった仏像だけは地元に残されたのが、せめてもの慰めでしょうか。御霊神社本殿も重要文化財に指定されています。

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 神社に到着すると、本殿入口前に地元の子ども達が書いた「書初め」が展示されていました。

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 本殿前にて参拝。奉納された供物の手前右手には参拝者用に「ご自由に」とお神酒が置かれていました。早速、手酌にて、お神酒を頂きました。ちゃんとオツマミも備えてありました。

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 本殿の脇障子に描かれている舞楽図です。向かって左が「納曽利(なそり)」、右が「蘭陵王(らんりょうおう)」の舞いです。この位置まで入って拝観出来るのは、年に数回だけです拝観受付所で、別に意味もないまま「交通安全」のお守りを購入して、神社をあとにしました。

2)岡田鴨神社

 加茂町の町名由来はカモ神とその神をまつるカモ氏です。大和国・葛城山の麓におられた賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと。神武東征の際に道案内として現れた八咫烏は、この神の化身と云われています)という神が、神武天皇がなくなった後、ここ山城国・岡田・賀茂に閉居されていました。その後、山城国(京都市)へ至り、上賀茂神社・下鴨神社に鎮まったと「山城国風土記」に記されています。各地のカモのそれぞれの繋がりと、加茂町のカモの古さがわかります。

 岡田鴨神社には2つの神社が祭ってあります。向かって右が岡田鴨神社本殿です。左は天満宮で、ここはもともと天満宮の社地だったのですが、昔から木津川の氾濫が頻繁に起こるため、岡田鴨神社を旧社地から、この天満宮境内に移されてきたのです。
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 今日は立寄れなかったのですが、木津川左岸の竹薮の中にある岡田鴨神社の旧社地跡の写真を付け加えました。
 参拝後、受付前でお神酒を頂きました。そして、またしても何故か「交通安全」のステッカーを買ってしまった私でした。

 (3)八坂大神から中森・春日神社&恵比須神社へ

 この後、木津川(恭仁大橋)の北部にある神社をまわる予定でしたが、天候も余り良くないため、町の中心部にある中森に行きました。

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 途中、八坂大神の石碑に立ち寄りました。京都の八坂神社と関係があるようなのですが、詳しい由来は未だに知りません(隣にある建物も祇園会館と云う名前が掲げられていますので何かありそうです)。

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 中森にある春日神社も2つの祠があります。春日神社と恵比須神社です。今日はこの恵比須神社で、地元の人達の福引会があるとの看板が出ていましたが、境内は関係者の人達が殆どで、参拝者の人出は少ないようでした。写真は恵比須神社です。

(4)里・春日若宮社

 この地が昔から木津川の氾濫に見舞われてきたことは先述しましたが、先ほど訪れた中森・春日神社も、ここ里の地に移り、現在の中森・春日神社は、この春日若宮社の境外末社となっています。
 春日若宮社は、関係者が数名おられただけでした。地元の神社も正月3日目となると、お参りもごく僅かのようです。ここでも本殿横に置かれた「ご自由に」と記されたお神酒を、手酌で頂きました。

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(5)三十八神社

 単独ウォーキング中に、初めてこの神社にたどり着いた時は少なからず驚きました。というのは、この神社についての紹介文や標識に一度として出会ったことがありませんでしたので、このような神社が存在するとは思ってもみなかったからです。後刻、地元の博識者から次のような話をお聞きしました。「昔は標識等もあったのだが、心無い訪問者が来ては、境内で弁当などの飲食物の残骸を放り捨てていくので、宮司が町の関係者に案内や標識をはずして欲しいと要望された」からだそうです。この神社に行く道は、かなりわかりにくいので、古くから住まわれている住人以外は、知らない人が多いようです。
 

 
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 参道入口にある2つの燈籠の間から、この百三十段近い石段を登っていきます。

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 石段を登ったところにある、屋根のある珍しい鳥居です。

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 更にあと少しの石段を登ると、拝殿と本殿があります。普段は無人ですが、正月だから誰か関係者が居られるのではと思ってやって来たのですが、やはり無人でした

(6)高田寺

 最後に立寄ったのは高田寺です。除夜の鐘の時は地元の人達が大勢集まられたようですが、正月はヒッソリしていました。ここは本尊の両脇に、お寺では珍しい木彫りの「狛犬」が置かれていて、仏像等に興味のある人には必見の価値ありです。

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 本堂の戸や障子は閉められたままでしたが、その閉められた戸に、住職手書きの絵文が貼られていました。

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(8)門松

 本日の初詣ウォーク中に見かけた門松です。注連縄は各門戸に殆ど架けられていますが、門松は最近、企業の正門に出されている程度で、すっかり見ることが少なくな
ってきています。

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 ニュータウン内の民家に立てられていた現代的でかつ非常に背の高い門松。

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 旧家の玄関で見た、神社と同じように盛り土に飾られた古風な門松です。

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 お寺でも門松を立てるのですね。通りかかった地蔵院の入口にあった門松。

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 最後に立寄った高田寺の鐘楼の柱にあった白い和紙に紅白の水引で包まれた門松です。 

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 やはり神社に門松はお似合いでした。無人だった三十八神社も、キレイに落ち葉等が掃き清められていて、鳥居や本殿の両脇には、シンプルながらも、盛り土に松と南天が飾り付けられていて、神々しさのようなものを感じました。

 何年かぶりに、お正月に地元の神社等をいろいろ訪ねてみましたが、奈良の春日大社や京都の伏見稲荷などの有名神社とは全く違った、参拝者は少ないながらも、地域と密着している、昔ながらの良さみたいなものを強く感じました。今回の初詣・初ウォークの歩程は、12.5kmでした。

  今年は出来るだけ地元・加茂町の、そして当尾の風物を記録していくつもりです。本年もよろしくお願いいたします。