加茂町内の藤堂高虎遺跡めぐりをしたあとですが、偶然の巡り会わせというか、加茂から笠置町まで「伊賀街道」を歩く企画が続いてありました。コース自体は山越えで特に見るべきものもなく、また昔とは一部歩く道筋も変わってしまっていますが、歩きに飢えている時期でもあり、仲間の皆さんらと一緒に参加しました。

★相楽健康ウォーク「加茂から笠置へ」 3/16

 不安定な天気が続いていましたが、今日は久しぶりに朝から太陽も姿を見せて、ウォーキング日和となりそうです。普段どおり、参加受付と準備体操を終えて9時40分、JR加茂駅東口からタートです。
 とにかく笠置までは山越えウォークで、ひたすら歩くのみです。約50分で(10時30分)加茂町山田集落に到着です。ここからは山の茶畑を経て、雑木林に入っていきます。

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 このあたりは加茂町内ですが、笠置町の飛び地が非常に多い地域です。この高台に「加茂笠置組合」の小屋が建っていてトイレ休憩です。向こうに見える山肌が削られている下あたりに木津川が流れています。

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 今しばらくは山の所々に作られている茶畑を見ながら進みます。このあと雑木林の狭い山道を、倒木やぬかるみに気をつけながらのウォークです。

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 雑木林が竹林に変わる所では、至る所に猪が掘り返した跡が見られます。竹の子の新しい皮が散らかっています。猪は、まだ顔も出さない土中の竹の子の在り処をちゃんと知っていて、掘り出して食べているのですね。

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 更に1時間半ほど歩いて、丁度12時に、ようやく笠置山と笠置の町並みが見えてきました。下山する足取りも心持ち軽やかになってきます。12時15分、JR笠置駅近くの公園に到着、昼食です。

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 昼食後、全員で記念撮影し、13時10分再スタートです。笠置大橋を渡って木津川北部地域を東進します。ほぼ国道163号線と並行した山道を1時間歩いて、木津川畔に着きました。ここでUターンして笠置駅に戻ります。

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 増水すれば橋が水没する「潜没橋」を渡って、今度は木津川南部地域を歩きます。再び山道を上って行きますと、布目川に架かる橋(布目橋)が見えてきます。柳生方面と笠置駅方面への分岐点です。橋を渡り笠置に向かいます。

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 布目川に沿って少し下ると、川を横切る大きな「勧請(かんじょ)縄」がありました。道や神社入口に架けられている「かんじょ縄」はよく見ますが、川に架けられたものは珍しいです。

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 更に下流に進んでいきますと布目川甌穴群があり、幾つもの甌穴を見ることが出来ます。甌穴(ポットホール)とは、河底の窪みに、渦巻流が生じ中に落ちた小石が回転しながら川床を深く削ってできる穴です。堅い花崗岩にできる甌穴は、数十万年から数百万年かかって出来るそうです。

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 布目川が木津川に流れ込む地点に、関電布目川発電所があり、JR関西本線が通っています。線路沿いの細い歩道を歩いていると、丁度加茂行きの列車が後方から走って来ました。この列車には間に合わず、次の列車は1時間後です。

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 木津川の巨石群を見ながら最後のひと踏ん張りです。笠置大橋も見えて来てゴールはすぐ近くです。時間も午後3時を廻りました。「ほんとに今日はよう歩いたなぁ」と言いながら、ゴールの笠置駅近くの笠置産業振興会館に15時20分到着となりました。帰りの列車まで30分ほど余裕がありましたので、笠置山の戦いのモニュメントなどを見て、時間つぶしです。

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 笠置山は鎌倉幕府と対立した後醍醐天皇が京都から逃れて、行在所を置いたところです。天皇から倒幕の命を受けた大和・山城・河内・三河の兵が笠置山に参集しました。(写真上)は産業振興会館内にある、後醍醐天皇に召されて、味方する約束をしている楠木正成です。(写真下)はJR笠置駅前にある、元弘の乱・笠置山の合戦で奮闘する、天皇方の勇士、三河の侍・足助次郎重範(左)と大和の般若寺の怪力僧・本性房(右)です。

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 最後に本日一番のとっておき写真「雪割一華(ゆきわりいちげ)」です。ウォーキングの途中、某所で見つけました。誰も気づかず、最後方を歩いていた私のみが、少し寄り道して見ることが出来た幸運に預かりました。 *「3月に出会った植物(2012)」をもご覧下さい。

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 JR笠置駅に掲げられている「駅名板」です。木彫りの趣のある逸品です。15時57分発加茂行き列車に全員乗車し帰途につきました。

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 本日の歩程 18.0km でした。「15km位は歩いたなぁ」と思ってましたが、それを上回っていました。