1年の最終月ともなると、まだブログに載せていなかったイベント・ウォークを、年内のうちに記録しておかねばと気があせります。

★山城町ふるさと案内人の会 「のんびりウォーク 椿井大塚山古墳」 11/25

 ウォーク友達である「山城町ふるさと案内人の会」のメンバーさんから、椿井(つばい)大塚山古墳から出土した銅鏡・三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)が、久しぶりに故郷(京都府立山城郷土資料館)に里帰りしているので、一緒に見学ウォークに行きませんか、とのお誘いを頂き、参加しました。山城町は現在木津川市となって私達の加茂町と同じ行政地域となっています。

 JR棚倉駅に集合し、駅前の湧出宮に立寄ったあと、山城図書館に向かいました。

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 山城図書館前にある巨大な三角縁神獣鏡のレプリカです。椿井大塚山古墳から出土したことが明らかな三角縁神獣鏡は33面以上です。以上と云うのは、これが昭和28年(1953年)に発見された直後に、壊されたり持ち去られたりしたものがあって、実際どれだけ出土したのか明確でないからです。「魏志倭人伝」に魏の皇帝が卑弥呼に銅鏡100枚を下賜したと記されている鏡は、この三角縁神獣鏡と云われています。各地の古墳で1面乃至数面の鏡が出土することは珍しくはありませんが、30数枚もの鏡が大量に出土し、しかもその鏡が、「卑弥呼の鏡」と云われる三角縁神獣鏡だった、ので日本中が大注目したのでした。ちなみに、三角縁神獣鏡は中国産と云われる舶載鏡(はくさいきょう)と、日本産の仿製鏡(ぼうせいきょう)に大別されます。椿井大塚山古墳から出土したものは、すべて舶載鏡で、魏の年号や地名を記したものがあり、中国(魏)の時代の鏡と考えられます。

 山城図書館の特別展示室に入場しました。ここには椿井大塚山古墳から出土した40面近い銅鏡のうち32面のレプリカが展示されていますが、撮影禁止でした。

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 木津川市教育委員会・文化財保護室発行の「椿井大塚山古墳と三角縁神獣鏡」のパンフレット写真です。出土した本物の鏡はすべて、重要文化財として京都大学に保管されています。その幾つかが今月、山城郷土資料館に里帰りして展示されているので、本日のウォーク最後に見学する予定です。

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 図書館での見学を終え、椿井大塚山古墳に向かいます。途中に見えた小さな山は、中央の鉄塔より左が平尾山城古墳、右半分が稲荷山古墳です。

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 椿井大塚山古墳の墳丘に登ります。

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 この墳丘への登り道のすぐ横をJR奈良線が走っています。そうなんです。この古墳の中腹を線路が横切り、民家が何軒も建っているのです。昔は雨の後にはよく線路の土砂崩れが起こっていたので、昭和28年3月に当時の国鉄が地盤の改良工事を行った時に、古墳の竪穴式石室が出現し、何もわからない工事の人達が埋葬品を勝手に外部に取り出し、あろうことか鏡などの出土品の一部をツルハシで壊し始めたのでした。また連絡を受けた京大の担当者がここへ来るまでの間に、幾つかの出土品は持ち去られてしまう等の出来事が起きてしまいました。出土品の保全と云う面だけでなく、石室内でこれらの鏡や埋葬品がどのように置かれていたのか等が全くわからなくなってしまったのです。

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 墳丘の上に掲示されている古墳の案内板です。前方後円墳の真ん中をJRの線路が横切っているのがよくわかりますね。この線路の丁度下あたりに竪穴式石室がありました。古墳前方部分(写真の下方)は民家となっていて、古墳後円部分(写真の上方)が墳丘として残っています。

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 墳丘の上から西方を見た写真です。写真上(遠方)から、生駒山、緑の地平線のように横一線に見えるのが木津川の堤防、手前の一段高き家屋群が前方墳の上に建つ民家です。最手前の切通しの所がJRの線路となります。大昔はここから木津川を行き来する舟が一望できたことでしょう。そんなことを偲びながら、ここで昼食となりました。

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 後円部の最後方から見た墳丘の写真。墳丘は全長約175m、後円部は直径約110m・高さ20mで丘陵を断ち切る形で作られた関係上形が少し歪になっており、 前方部は長さ約80m・高さ約10mと推定されています。山城地方では最大の前方後円墳です。

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 昭和28年4月に京都大学の発掘調査は終了し、石室は埋め戻されることになりました。もうこの貴重な遺跡が二度と見られないと嘆いた地元の某人が、そっと工事の人に話を持ちかけて、こっそりと持ち出された「椿井大塚山古墳の天井石」の幾つかが、山城中学校の校庭に置かれています。

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 上狛(かみこま)天竺堂(てんじくどう)古墳に立ち寄りました。高齢者総合福祉施設を建設する際に発見され、調査後、すぐ近くのこの地に移設されました。石室と石棺の置かれていた位置・形状が見てとれるようになっています。多数のガラス玉などの装飾出土品から被葬者は女性の可能性が高いようです。

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 木津川の北側を走る国道163号線の、更に一つ北側の畑の間に高麗寺(こまでら)跡があります。

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 高麗寺は京都府内最古の寺院遺跡です。創建ははっきりしませんが、奈良県明日香村の飛烏寺や川原寺と同じ瓦が用いられていますので同時期に近いようです。朝鮮半島から渡来してきた狛(高麗)氏による創建と云われ、平安時代の末頃に廃れたようです。礎石だけが僅かに残されています。

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 高麗寺復原図。京都府立山城郷土資料館編「南山城の歴史と文化(1982年発行)」より。

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 高麗寺跡から国道163号線沿いに京都府立山城郷土資料館(ふるさとミュージアム山城)に行きました。丁度10/24~12/9まで「古事記・日本書記とやましろ」特別展が行われていて、椿井大塚山古墳から出土し京大が保管している三角縁神獣鏡(重要文化財)が出展されていました。実物を見るのは私も初めてでした。写真撮影禁止でしたので、特別展のパンフレット(写真の右上が三角縁神獣鏡)で代用です。 この見学を終えて現地解散となりました。友人とも別れ、私はJR上狛駅に戻るよりも逆方向に加茂へ歩いて戻ることにしました。

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 本日のウォーク中に見かけたシマカンギク。南山城地方ではここでしか見られない希少種です。京都府RDB(レッド・データ)で絶滅危惧Ⅱ類に指定されています。

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 帰途、木津川に架かる恭仁(くに)大橋から見た、大野山(鹿背山)に沈みゆく落陽。まだ午後4時半なのに晩秋の落日は早いです。この夕景を、遠い昔、聖武天皇や大伴家持たちもこの地(恭仁京)から見ていたに違いありません。

 コース概略:JR棚倉駅(スタート)→湧出宮→山城図書館→北河原区公民館→大塚山古墳(昼食)→市立山城中学校→小林家住宅→天竺堂古墳→高麗寺跡→山城郷土資料館(解散)→恭仁京跡→恭仁大橋→JR加茂駅→自宅(ゴール)。本日はGPSが途中で電池切れとなり、MAPはありません。歩程は 約18.6km でした。