今年最後の忘年会が奈良市内で行われましたので、早めに出発して、夕方6時の開始時間までの3時間ほど奈良公園周辺を歩いてみることにしました。
★年末の奈良の社寺を歩く 12/27
JR奈良駅から三条通を東へ歩き、ササユリ祭りでお馴染みの率川(いさかわ)神社に寄って見ました。
率川神社の中にある境内社・率川阿波神社。ご祭神は事代主命(ことしろぬしのみこと)、一般には恵比須様と呼ばれています。新春の初えびすの準備がされていました。
率川神社のすぐ南端にある伝香寺。戦国武将・筒井順慶など筒井家の菩提寺です。「裸地蔵」が有名ですね。また境内の「伝香寺・武士椿(もののふつばき)」は、花びらが一つづつ散っていく散り椿で、「白毫寺の五色椿」、「東大寺開山堂の糊こぼし椿」と並んで、奈良三名椿(めいちん)の一つです。
境内にあるこの宝篋印塔は、筒井順慶の母・芳秀宗英尼の墓碑です。
実は伝香寺に立ち寄ったのは、今は奈良町から姿を消してしまった川である率川(菩提川)に興味を抱いていて、奈良に来た折には少しづつ個人的に川跡を調べています。この周辺を流れていたはずなのですが、詳細がわからず境内に入らせていただいた訳です。案の定「伝香寺橋」と記された石碑が境内にありました。守衛さんからお話を聞くと、川自体は寺の前の「やすらぎの道」を流れていたそうですが、川が埋められた時に橋の石碑だけが境内に移設されたとのことでした。
*「奈良町を流れていた率川の川跡」については、いずれブログでも取り上げてみたいと思っています。
奈良町の古き良き街並みを楽しみながら散策です。椿井小学校の近くにある墨の名店「古梅園」です。
猿沢池の南西角にある「率川地蔵」と「嶋嘉橋」。率川はこの少し北西で暗渠となって、地上から姿を消してしまいます。この地蔵尊の少し上流(東側)で菩提川と尾花谷川が合流して率川となります(暗渠に入るまでを菩提川と呼ぶ説もあります)。
率川(嶋嘉橋)の南側にある魚佐旅館。奈良に古くからある老舗旅館です。嶋嘉橋は平城京の上ツ道、後の伊勢街道の起点でしたので、この周辺には宿やお茶屋が早くから発展していたようです。毎年末から年始にかけて、近鉄・花園ラグビー場で行われる「全国高校ラグビー大会」の宿舎として、奈良のホテルや旅館が便利なので良く使われています。国学院・久我山は毎年奈良に来ていますし、この魚佐旅館のロビーには国学院・栃木の歓迎立て札が掲げられていました。
追記:ブログ記事をアップした途端、本日(12/31)の産経新聞・朝刊に「魚佐旅館」廃業のニュースが出ました。こうした老舗店舗が姿を消していくのは淋しい限りです。
西日を受ける猿沢の池と興福寺・五重塔。
初詣間近の年末の春日大社の様子を見に行きました。春日大社 一の鳥居。
参道の左右から鹿が近寄ってきます。
こんなに大きくなっても、まだ母乳をせがんでいた子鹿。
万葉植物園前を通り過ぎ、ようやく春日大社 二の鳥居に。初詣はここから一方通行になります。
二の鳥居を過ぎた所の伏鹿手水所。
春日大社・南門(重要文化財)。この時期、神社境内で見かけたのは殆ど外人観光客でした。カメラを私に差し出してはシャッターを押してくれ、と幾度か頼まれました。
春日大社・慶賀門東の釣燈籠。春日大社には、石燈籠が約2000基、釣燈籠が約1000基、合計約3000基の燈籠があるそうです。
夕闇迫る春日大社・石燈籠の中を市街に戻ります。
猿沢の池まで戻り夕景を楽しんだあと、興福寺を訪ねました。夕焼けの興福寺・南円堂(重要文化財)です。
南円堂から見た興福寺・東金堂と五重塔(いずれも国宝)。その上の薄暗くなりつつある空に満月が顔を出していました。本日を含めて今年度のウォーキング総歩行距離は 1540km と、目標の1500kmを超えました。見事な満月が有終の美を飾ってくれました。
コース概略(地図省略):JR奈良駅(スタート)→率川神社→伝香寺→猿沢池→さるさわ遊歩道→常徳寺→三条池跡→いさがわ幼稚園(旧楽人長屋の門)→率川橋跡→絵屋橋跡→猿沢池→俊寛塚→菊水楼→荒池→春日大社参道→二の鳥居→春日大社→参道→奈良国立博物館仏教美術資料研究センター→猿沢池石段下→興福寺→東向商店街(ゴール)。 本日の歩程 8.7km でした。
コメント
コメント一覧 (2)
今年はいろいろと有り難うございました。
来年も引き続き宜しくお願い致します。
どうぞ良いお年をお迎え下さい。
こちらこそ、新しい・素晴らしい友人と出会えたことに感謝しています。
来るべき年も、健康で楽しい日々となりますよう、お祈り申し上げます。
どうぞ来年もよろしくお願いいたします。