今年のNHK大河ドラマは「八重の桜」。同志社の隣で育ってきた私は、新島襄や同志社と聞くと、とても身近に感じるのですが、それ以上に ”会津の 山本八重” に光が当たったことが、ことのほか嬉しいのです。私が結婚で京都市内を離れるまでの京都での生活中、近所には薩摩藩戦死者の大きな墓があり、話をしても大体において桂小五郎や坂本龍馬など、新政府側の遺跡や人物ばかりが目立っていたように憶えています。子どもの頃はチャンバラをしても、誰もが風呂敷で覆面をした鞍馬天狗役になりたがり、近藤勇役はなり手がありませんでした。ただ知識が少しついてきた高校生になった頃から、松平容保(かたもり)に興味を持ち、やがて彼の実直さに惹かれ大好きとなり、その延長線上で会津藩や新選組も好きになりました。まぁ京都人としては少数派の部類でしょう。ドキュメンタリーというかノンフィクションものは好きでしたが、小説と云うのは余り好きではなかったのですが、それでも松平容保や(白虎隊も含めて)会津藩に関するもの、新選組に関するもの等は読んでいました。とりわけ、早乙女貢のライフワークとも云える「会津士魂(全13巻)」や、子母澤寛の「新選組始末記」など新選組三部作は、繰り返し読んだ記憶があります。光明天皇の絶大な信頼と絆のもとに天皇方の中心となって京都の町と御所を守った松平容保が、光明天皇の死後、一転して朝敵とされてしまい、徳川御三家以上に明治維新の最悪者の役回りを請け負わされて、コテンパンに叩きのめされ潰されてしまった会津藩の悲劇を思うと、涙と悔しさが今もって湧いてきます。西郷頼母の母や妻子の自決、特に16歳の長女・西郷細布子が自決しても死に切れず、意識朦朧とした中で敵とはわからずに介錯を頼んだ壮絶な最後、あるいは八重は城内から銃で応戦したのに対し、城外で娘子軍を率いて薙刀で果敢に敵に切り込み被弾して、16歳の妹に介錯されて死んでいった22歳の美女・中野竹子など~会津戦争で死んでいった会津の女性たち~、それゆえに生き残った山本八重は彼女達のためにも、逆境の中を見事に逞しく生きたのでしょう。ドラマではぜひとも会津藩の名誉挽回を期待したいと思っています。まぁ話はこれくらいにしておき、新選組の名を冠したウォーキングがありましたので参加しました。
★近鉄フリーハイク 「新選組発祥の地と京の台所・錦市場」 2/8
京都駅の一つ手前 近鉄・東寺駅 が本日の集合受付場所です。友人たちと3人組でコース地図を確認して、最初の訪問地「東寺」に向かいます。
木造建築物としては日本一の高さ(55m)の東寺の五重塔(国宝)。
東寺・金堂(国宝)。東寺境内を南から北へと横切ります。
新幹線・JRの高架下を抜け、北に向かいます。梅小路公園内に昨年の3月にオープンした京都水族館。梅小路蒸気機関車館と並んで、新しい京都のレジャーポイントとなってきました。
島原大門。わが国最古の公許遊廊である島原の正門です。
島原には維新の関連人物たちも、敵も味方も訪ねていたようですね。今は門を入っても遊郭の面影はそう多くはありません。
壬生(みぶ)狂言で有名な壬生寺。境内は新選組隊士の武術の稽古場でした。境内にある壬生塚には近藤勇をはじめとして新選組隊士11名がまつられています。
四条大宮と嵐山を結ぶ京福電車の踏切を渡ります。嵐電(らんでん)の名前で親しまれています。丁度、平安遷都1200年を記念して製造された金の装飾帯で飾られたレトロ電車・モボ26号車がやって来ました(銀の装飾帯のモボ27号車もあります)。嵐電で一番人気のある車両です。
新選組屯所・八木邸です。八木家は壬生村の郷士でしたので建屋も長屋門構えの重厚な作りです。芹沢鴨が暗殺された部屋や、そのとき柱に付けられた刀傷も残っていますが、館内は撮影禁止となっています。
新選組は7年間のうち3度も屯所を移転していますが、そのひとつ:新選組屯所・前川邸。こちらは内部は非公開となっています。
元祇園梛神社(もとぎおんなぎじんじゃ)。祇園の八坂神社が出来る前まで牛頭天王の神霊をまつっていたので、元祇園社と呼ばれています。名前の通り、このあたり一帯は昔はナギ(梛)の森だったそうです。左の梛神社と右の隼神社の間にナギの木が1本だけご神木として残っていました。
厄除けや縁結びなどお守りにも使われるナギの葉。葉脈がなく多数の平行脈だけの常緑のこの葉の美しさが私は好きです。1万本もあったといわれる昔のナギの森を見たかったものデス。
梛神社から東に方向を変え四条通りを歩きます。四条大宮の北西角に餃子の王将(京都王将)の創業店(1号店)があります。
四条堀川、四条烏丸を通り過ぎ、大丸京都店の角を曲がると京都の台所 錦市場 です。
錦市場内の京都鶴屋 鶴寿庵の 「屯所餅」。京野菜の壬生菜(みぶな)を刻み入れ、 丹波大納言小豆の粒餡を包んだ、壬生の新撰組屯所に因んだお菓子です。
錦市場東口を出て寺町通りから見た錦天満宮の鳥居。どう見ても両サイドの建物に鳥居が食い込んでるような気がするのですが…。
*(追記)鳥居の端が気になって調べていたら、ウィキペディアに上記写真がありましたのでお借りしました。「錦小路通の寺町と新京極の間にある鳥居は昭和10年(1935)に建てられたものであるが、その後に両側にビルが建てられたため、ビルの中に一部がめり込んでいる。参道からもビルの窓を通してめり込んだ先端を覗くことができる」旨の説明文も付いていました。やっぱり、そうだったのですね。
錦市場を抜けて四条河原町に到着。丁度お昼の12時でした。本日のウォークはここから鴨川沿いに南下して京都駅に戻ります。同行の友人約1名はコース通りに帰るとのことで、ここで分かれました。午後からは残った2名で、久しぶりの京都を自由に散策することにしました。<次回 「京都市内を歩く②」 に続く>
コメント
コメント一覧 (2)
新撰組への思い入れが良く理解できました。
私も「八重の桜」を楽しんで見ています。
松平容保や新撰組にも大変興味があります。
餃子の王将の1号店は行ったことがありませんが、我が家は王将ファンで、多摩ニュータウンにも店があるので、「ぎょうざ倶楽部」なる会員になっていますよ。
「八重の桜」も、いよいよ松平容保が京都守護職を引き受ける段に入ってきましたね。
ご承知のように、容保は広義には徳川の子孫ではあるものの、直接的には保科正之の血は流れていないのに、会津藩に養子に入ったばかりに、「会津家訓十五箇条」に縛られ、それを守ることで悲劇に巻き込まれていきます。この実直さが彼の美点でもあり欠点ともなったのですね。
王将ファンですか。我が家も同類です、よろしく。