”郷土富士” あるいは ”ふるさと富士” と呼ばれる山は、全国各地に350山以上あるといわれています。 その多くは山容が富士山に似ている(つまり独立峰である)ことから「○○富士」と呼称されてますが、特別に決まった定義もなく、独立峰でなくても、その土地の代表的な山や美しい山に「富士」の名を付しているケースも多々あります。 ”ふるさと富士” と呼ばれるものは、京都府には4~9山、奈良県には3~4山あります(とりまとめの機関や人によって数え方が大きく違っています)。
 2月23日は223でフ・ジ・サン(富士山)の日。これにちなんで、奈良県宇陀市(旧榛原町)では、毎年「全国富士山の日・大和富士登山大会」が開催されています。主催者である榛原観光協会のお話では、2/23当日は皇太子様のお誕生日でもあるので(いずれは天皇誕生日となる日なので)、その前後の土・日曜日を登山開催日に選んでおられるそうです。今年は 2/17(日)に行われました。

★榛原観光協会 「全国富士山の日 大和富士登山大会」 2/17

 JRと近鉄を乗り継ぎ、近鉄「榛原(はいばら)」駅で下車、更にバスに乗り換えて、集合地の大和富士ホール(宇陀市の生涯学習施設)に駆けつけます。約300人近くが集まっているようでした。

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 集合地の大和富士ホールの建物越しに見た、本日のタイトルにもなっている「大和富士」こと額井岳(ぬかいだけ)です。右手にはもう一つの登山地・戒場山(かいばやま)が見えています。双方ともまだ雪をうっすらとかぶっていました。 この額井岳はご覧の通り、純粋な独立峰ではありません。先にも述べましたように、その他の理由から「富士」 の名を冠してもらっています。それは……

 額井岳が大和富士と呼ばれるのは…この山こそ「数ある山のなかの”山”」だから なのです???
山と云う文字は小学1年で習っているはずですが、この文字が象形文字であると知ったのは、
ずっと後のことでした。本日の額井岳登山のコースからは上記の写真のような山姿しか見えませんでしたので、宇陀市のホームページに掲載されている額井岳の写真をお借りして(下左の写真、下右はそれを私が説明用に補足したもの)、”山” を実感していただきましょう。

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 宇陀市の説明には、額井岳は 「秀麗な姿が ”山” と言う漢字そのものの美しい山」 と記されています。このように 山の字に見える山 は、どこにでもありそうですが、実際には仲々見当たりません。榛原の人たちがこの山を ”大和富士” と呼び、郷土の誇りに思っておられるのがよくわかりますね。

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 10時にウォーク・スタートです。額井岳(左側)を正面に見ながら、額井地区内を歩きます。大きな勧請縄が張られていました。

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 最初の休憩地である山麓の十八(いそは)神社に向かいます。十八神社自体が標高 500m 程の高所にありますので、そこへ続くこの塗装道路もかなりの坂道で、たちまち先頭から最後方まで大差がついて、長い行列になってしまいました。「大和富士登山大会」の旗が沿道にはためいていました。

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 十八(いそは)神社に到着です。

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 境内ではスタッフや額井地区の皆さんあげての歓迎を受けました。温かい豚汁と甘酒が無償で振舞われました。勿論、2つとも有難く頂きました。美味しかったデス。

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 私達が食べたり飲んだりして休憩している間に、宮司さんは登山の安全無事の祈願をされていました。

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 神社の横手から、いよいよ登山道に入ります。はやくも雪と氷の世界に突入です。

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 登るほどに段々雪が多くなってきて、靴が滑って坂を登れない人や転ぶ人達も出てきました。準備周到な人はここでアイゼンを取り出し装着です。

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 山道ですから前の人がつかえると、うしろの人はストップし順番待ちです。私は出来るだけ先頭集団にとりついてスピードダウンしないように登って行きました。振返ると木々の間にかすかに榛原の町が見えています。

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 11時30分、大和富士(額井岳)山頂に到着です。雨乞いのための竜神を祀る小さな祠があります。

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 山頂展望台から見た遠くの山々。

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 額井岳山頂 標高 816.4m 。 4等三角点が置かれています。

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 お昼には少し早いですが、適当な所で昼食。あとの人たちが来て、山頂が混まないうちに、私達は早々に出発です。

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 額井岳から戒場山へは、額井岳の急坂を一旦下り、尾根沿いに戒場峠へ向います。途中に見かけた天理王命の小さな祠、何に使うのか不明だった反射板、アセビの木が多かった岩の尾根付近。頭上の木々の枝が雪の重みで枝垂れ、時々、そこから雪爆弾の攻撃を受けながら ひたすら前進です。

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 戒場峠。ここから再び戒場山を目指しての登りです(右へ曲がると山部赤人墓へ下山できます)。登り道から振り返ると、木々の合間に大和富士(額井岳)が見え隠れしていました。

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 戒場山・山頂 標高 737.6m  に到達。こちらには3等三角点が置かれていましたが、樹林に囲まれて見通しは全くききません。三角点にタッチして即出発です。

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 急坂の雪道を滑らぬように注意しながら、戒場山の中腹にある戒長寺(かいちょうじ)に下りて来ました。

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 戒長寺境内のオハツキイチョウ(お葉付き銀杏)、奈良県指定天然記念物です。乳根が凄いです。オハツキイチョウは、イチョウの変種で 葉っぱの上に実を結ぶ 珍しいもので、全国に20本程が確認されているそうです(奈良県には県指定になっているものが3本あります)。時期的に葉と実の写真はありませんので、ご覧になりたい人は、ネット上でオハツキイチョウと検索してみてください (いずれ写真を撮りに再訪してみたいと思っています)。どういう条件下になればこんなイチョウの実が出来るのか、現場に居たスタッフの人に尋ねてみました。幾つかの説があるようですが、まだ何も解明されていないとのことでした。境内には奈良県指定天然記念物の「ホオノキ」もあります。

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 戒長寺下の東海自然歩道から見た額井岳。

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 万葉集にも富士山の有名な歌があります。 ”田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける” です。これが百人一首では ”田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ” と変っていますが、この作者はよくご存知の 山部赤人 ですね。ゴールの十八神社に戻る途中に、この 山部赤人の墓 と云われる五輪塔と万葉歌碑が建っています。五輪塔自体は後世の鎌倉期の制作と云われています。石碑の万葉歌には ”あしひきの 山谷こえて 野づかさに 今は鳴くらむ 鶯の声” とあります。ここの地名は宇陀市榛原山辺。山部赤人は「山辺赤人」とされることも多く、山辺の出身であると考えられ、この墓がそうであると伝わっています。

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 雪にもめげずに咲くカンツバキ(寒椿)に力をもらい、更に解散地の十八神社では再び温かい甘酒も頂き、パワー復活。帰りは、近鉄榛原駅まで一気に歩いて、ウォーク・ゴールとしました。

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 コース概略:大和富士ホール(スタート)→額井公民館→十八神社→大和富士・額井岳(昼食)→反射板→岩の尾根→戒場峠→戒場山→戒長寺→東海自然歩道→山部赤人の墓→十八神社→国道165号線沿い→近鉄・榛原駅(ゴール)。 本日の歩程 11.0km でした。