ホームベースとしている京都府と奈良県との県境にある低い山並みを初歩きです。この時期は寒いだけで、特に見るべき植物もありませんが、いつも歩いているコースですので、石仏巡りなどをしながら、歩行距離を稼ぎに出掛けました。お正月3が日は、多少の人出もあったようですが、もうすっかり元の静寂さを取り戻していた当尾です。

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 岩船寺参道脇の右手に伸びる細長い石段を上ると小高い丘の上に出ます。ここに門松に飾られた、2つの神社が左右に並んでいます。かつては岩船寺の鎮守社として創建された神社ですが、鎌倉時代の承久3年(1221)に起こった「承久の乱」による兵火で社殿の殆どが焼失してしまいました。左が室町時代(1400年代)に建てられた白山神社(重文)で、右は春日神社です。

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 本日は岩船寺はパスして、石仏巡りの山道に入ります。山道の崖下の大きな岩に彫られた不動明王・磨崖仏です。弘安10年(1287)の銘があります。一つだけお願いをすると聞いてもらえると云う言い伝えがあり、別名:一願不動とも呼ばれています。

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  山の合間から見た、奈良西部方面と生駒山。

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 後部ドアが開けっ放しだった自動車。こんな細い山道に入ってきて何をしているのかな?と思ったら、山道から脱輪していました。右手は草むらのように見えますが、谷に落ち込む切り崩しとなっています。ジャッキで持ち上げて前輪部分にブロックを何個も差し込んで、なんとか車が転落するのを避ける処置はしたようですが、引き上げることも出来ず、運転者は再度応援要請をするため引き上げたようです。それにしても後部ドアくらい閉めていけばよいのに‥。

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 ナワシログミ(苗代茱)も寒さに耐えていました。

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 奈良市の領域まで数十mと云う、府県の境界点「ミロクの辻」にある花崗岩の巨石に彫られた、線刻弥勒磨崖仏 があります。風水食が著しい石仏ですが、珍しく本日は線刻が見やすかったです。笠置山の弥勒磨崖仏を模したものですが、笠置山の弥勒磨崖仏は、元弘の乱(足利軍が笠置山の後醍醐天皇を攻めた戦い)の戦火を浴びて、石の表面が剥離してしまい、石仏の姿を偲ぶことが出来なくなりました。この当尾の弥勒磨崖仏がその姿がどういうものであったかを、唯一教えてくれます。「文永11年(1274)・大工末行」の銘が確認されています。鎌倉時代の初め、東大寺大仏殿焼失の修復に中国から来た伊行末(いのゆきすえ、いぎょうまつ)は、伊派石工の祖と呼ばれましたが、末行(すえゆき)は行末の子孫にあたります。

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 シダやコケ類は山道の至る所で色々見られるのですが、不勉強で殆ど名前がわからず素通りです。美しいタマゴケ(玉苔)は、私でも判別出来る数少ないコケの一つで、朔(さく)が出来ていました。

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 ツルリンドウ(蔓竜胆)の実が、まだ残っていましたが、上の方の実は‥

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 鳥にかじられたのでしょうか、果肉の中には種子が見えていました。

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 当尾の石仏では一番良く知られた阿弥陀三尊磨崖仏(観音菩薩、勢至菩薩を従えた阿弥陀如来)で、にこやかな顔の表情から、通称:笑い仏 と呼ばれています。永仁7年(1299)の刻銘があり、これも伊末行の作品です。

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 落葉樹、常緑樹が入り交じる山道。道筋の黄色い葉の樹木は‥

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 アオモジ(青文字)です。枝先には蕾がびっしり付いています。葉が落ちる早春にいち早く開花します。

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 カラスの壺と呼ばれる場所にある、阿弥陀・地蔵磨崖仏。正面の阿弥陀坐像の左側面の岩にも地蔵菩薩が彫られています。康永2年(1343)の作です。

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 朽木に生えていたコナアカミゴケ(粉赤実苔)です。見るからに特徴的で、一度見たら忘れられません。

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 シキミ(樒)の花が狂い咲きしていました。

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 藪中三尊磨崖仏。左岩に阿弥陀坐像、右岩に地蔵菩薩と十一面観音立像が彫られています。真ん中に地蔵を配置するのは大変珍しいケースです。「弘長2年(1262)、大工橘安縄、小工平貞末」の銘が確認されています。弘長2年と云う銘は、当尾地区で確認されている石仏の刻銘では一番古いものです。<続く>