藪中三尊から浄瑠璃寺に立寄ってみました。浄瑠璃寺前バス停からの細長い参道脇には、早春の花が咲き始めていました。

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 ソシンロウバイ(素心蝋梅)。植栽されているロウバイで一番多いのが、この中国原産のソシンロウバイです。花の内部に暗赤色が入らず、花全体が黄一色です。

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 淡く明るい黄花は春の訪れを感じさせてくれるだけでなく、心まで暖まってくるようです。

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 12月頃から咲き出していた アセビ(馬酔木) もちらほらと。

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 浄瑠璃寺の山門。お寺の迎春らしく、控えめにハボタン(葉牡丹)が置かれていました。

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 本堂(国宝)の前には、例年通り、大きな生け花が飾られていました。浄瑠璃寺は、岩船寺とともに「関西花の寺25ヶ所」に選定されていて、四季を通じて色々の花が見られますが、流石に真冬はマンリョウやナンテンなどの赤い実以外には見るべき花もなく、境内を一周して引き返しました。

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 藪中三尊まで引き返し、別の石仏コースをたどります。首切地蔵(左)です。この首切地蔵も藪中三尊と同じく、弘長2年(1262)の銘が見られる、当尾最古の石仏です。地蔵と云う名前が付いていますが、ご覧の通り、地蔵ではなくて、定印を結んだ阿弥陀坐像です。昔から、当尾の石仏や古墳の石などの多くが、愛好家や業者に庭石用として持ち(盗み)去られました。この首切地蔵も持ち去られて、長い間行方が分からなかったのですが、京都市内の某有名画家の庭園に置かれていることがわかり、事情を知らされた画家より好意的に当地に返還されました。首筋が深く切れ込んでいて首が切れているように見えることから首切地蔵とか、あるいはこの周辺に刑場があったので首切地蔵と呼ばれたそうです。

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 山中にある祠、春日神社には、質素な注連縄が張られていました。当地(木津川市加茂町)には春日神社と云う名前の付く神社が沢山あり、どこそこの春日神社と言わないとわかりません。

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 大門石仏群。地域内に点在する数知れない中小石造物の、崩壊、埋没、盗難と云った災害から守るため、各地区(集落毎)で保存事業が進められました。この大門地区でも150体の石仏を2つにまとめて祀った石仏群は、その代表とも云えます。

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 奥の石の祠に鎌倉期の薬師如来石仏が祀られていて穴薬師と呼ばれます。手前の石仏群は室町期のもの、右手の灯篭は愛宕灯篭で、これと同じ形状のものが当尾には3つ存在しています。

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 千日墓地の十三重石塔(重文)。十三重石塔は、永仁6年(1298)の作で、初重軸部の東西南北面に、薬師・阿弥陀・弥勒・釈迦の四方仏が彫られています。

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 墓地の南側の六地蔵と一緒に建てられている阿弥陀石仏。安土桃山時代の天正8年(1580)の銘がはっきりと読み取れます。当尾の石仏としては新しい部類です(ここでは江戸時代の石仏などは話題にものぼりません)。四頭身の頭でっかちの石仏ですが、微笑みをたたえた顔は、笑い仏同様に、個人的には好きな石仏の一つです。Touno19_2
 石龕双仏石は、この地には沢山ありますが、これは当尾最大の双仏石で、阿弥陀と地蔵が並んで彫られています。南北朝時代のもので、屋根石や宝珠も完存していますが、屋根石や基礎部分にほぞ穴があり、当初は前面に石扉があったと推定されています。

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 山を下りてきた山麓、通称・極楽橋のたもとにある石仏群です。小さな石龕仏が色々見られます。本日の当尾初歩き、岩船寺からの歩程は 9.4km でした。