★近鉄フリーウォーク 「ぶらり石畳の路地裏と町屋の散策」 1/28

 久しぶりの大阪の町歩きです。天気予報では終日「曇」とのことでしたが、家を出る頃から明るい青空になり、風もなく、アップダウンのない平地歩きですから、快適なウォーキングが出来そうです。近鉄・難波駅に電車が到着するごとに、ウォーカーたちは東改札口広場で次々にコース地図を貰ってスタートです。地下街から地上へ出ようとしたら、友人と遭遇、彼はもう一人の友人が来るはずだから待ってみると言うので、私は先に出発です。

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 ミナミの繁華街も朝9時半では静かなものです。最初の立ち寄り地・法善寺横町に入ります。

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 法善寺横町といえば、夫婦善哉と水掛不動で有名な石畳の横丁です。この周辺は、若い頃には毎日のように飲み歩いた所で、朝からザックをかついで歩く日が来るとは思いもしませんでした。

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 ここの不動さんは一日にどれくらい水を掛けられるのでしょうか。苔がびっしり密生していて、地肌が見えることはありません。

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 法善寺横丁を横切って、千日前商店街から道頓堀に出ます。

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 川面に映る「赤い灯、青い灯」とは違い、朝日を浴びても、まだ眠りから覚めない道頓堀です。

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 太佐衛門橋を渡り、しばらく「とんぼりリバーウォーク」を楽しみます。「とんぼりリバーウォーク」は平成16年12月に誕生した道頓堀水辺の遊歩道です。

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 堺筋から千日前通りに南下し、国立文楽劇場前を通り過ぎると、生國魂(いくたま)神社への上り坂です。

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 生國魂神社は、神武天皇が九州より難波津に着かれた時に、現在の大阪城付近に生島大神・足島大神を祀られたのが、創祀と云われています。「いくたま(生玉)さん」と呼ばれる大阪を代表する神社です。

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 生國魂神社の北の鳥居から下る、石畳の真言坂は、天王寺七坂と呼ばれる坂の一つで、一番北に位置していて、かつ唯一南北に通る坂道です。

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 再び千日前通りを横断して北上、高津(こうづ)神社の表参道から社殿へと向かいます。ここには二等辺三角形の形をした石段があり、恋人は両側から登り、頂点でピタリと出会うと相性が良いと云われる「相合坂」があります。また西坂は、明治初期まで形状が三下り半になっていたので「縁切り坂」とも呼ばれていました。難波でもう一人を待っていた友人が追いついてきました。連絡が取れなかったようです。

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 松屋町筋を北上、長堀通りで東に向かい、谷町筋で南下と、ぐるぐると歩き回ります。空堀(からほり)界隈を散策し、谷町7丁目にある近松門左衛門の墓へ立寄りました。墓は当初、法妙寺と云う境内にあったのですが、昭和42年(1967)に谷町筋の拡張に伴い、寺が大東市に移転してしまいました。地元の人々の熱意で、墓はこの地に残りましたが、ビルの片隅の路地奥にあって、見逃してしまいそうな気の毒な場所です。

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 近松の墓から北東方面に向かいます。上本町3丁目から清水谷公園、空堀町交差点、大阪女学院前を通過すると、大阪カテドラル聖マリア教会です。一般的には、カトリック玉造(たまつくり)教会と呼ばれています。現在は耐震工事中で、大聖堂の中へは入れず、小聖堂を拝観させていただきました。

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 大聖堂の左右に建つのは、高山右近と細川ガラシャの像です。戦国時代のキリシタン(カトリック信者)です。秀吉のバテレン追放令で、高山右近は、信仰を守る引き換えとして大名の地位(領地と財産)を捨てます。更に家康のキリシタン国外追放令で、右近はマニラに送られ、そこで一生を終えます。一方、細川玉(珠、玉子とも記す)は、父・明智光秀の信長への謀反で心を痛め、次第に夫・細川忠興からも冷たい仕打ちを受けて、信仰に救いを求めていったのです。ガラシャ(グラツィア)は玉の洗礼名です。気位が高く怒りやすかった玉は、キリストの教えを知ってからは、謙虚で忍耐強く穏やかになったと云われています。

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 秀吉没後は、忠興は徳川方につきます。忠興不在中に、玉を人質にしようとする石田三成の襲撃を受けます。人質になることを拒絶したガラシャは、(キリストの教えで自害出来ないので)家老の小笠原秀清に自分の首を討たせ、また遺体が残らぬようにと屋敷に爆薬を仕掛けるよう申し伝えて、37歳の生涯を閉じました。このガラシャや、信長の妹・お市の方並びに娘の江(ごう)や茶々(のちの淀君)などに触れると、戦国と云う時代に翻弄された女性の悲哀を痛感せざるを得ません。
 教会周辺は、昔の大阪城三の丸に該当し、教会の北側あたりが細川忠興の屋敷でした。今は屋敷内にあった井戸「越中井」だけが残っています(本日はコース外で立ち寄らなかったので、これは4年前に訪れたときの越中井の写真です)。石碑の横面には、ガラシャの辞世の句が刻まれています。
”散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ"  細川ガラシャ  
<続く>