大坂の陣400年に当たる昨年から今年にかけては、各種関連イベントが多々行われています。昨年は冬の陣400年でしたが、今年は夏の陣400年に当たり、2月から3月にかけて、私も「木村重成・戦跡コース」、「真田幸村・戦跡コース」、そして「後藤又兵衛・戦跡コース」のウォークに参加してきました。今回は大阪市内のゆかりの地を歩くということで、これまでの総括という意味からも参加いたしました。今までの大坂の陣・関連参加ウォーク等については → こちら

★ラジオ大阪主催 「大阪歴史健康ウォーク」 3/29

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 集合地の大阪・四天王寺・中門前広場です。四天王寺は飛鳥時代に聖徳太子が創建した、大阪を代表する大寺院です。戦国時代の頃には相当荒廃しており、豊臣秀吉・秀頼の二代に渡って大伽藍が再興されましたが、大坂冬の陣で焼失、灰燼に帰しました。その後、徳川の手で再建されるも、落雷で焼失。文化9年(1812)に再建されるも、昭和9年(1934)室戸台風で大被害を蒙る。またもや再建されるも、昭和20年(1945)大阪大空襲で焼失。現存の中心伽藍は、昭和32年(1957)から再建にかかり昭和38年(1963)に完成したもので、鉄筋コンクリート造となりますが、飛鳥建築の様式は再現されています。

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 10時半過ぎに、一斉にウォークスタート。参加者は800-900人くらいだったようです。

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 ピンクの可愛い服を着たラブちゃん(介護犬)と一緒に歩く人も‥。大阪城まで頑張ってね。

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 コース地図には茶臼山が書かれていましたが、立寄らずに一心寺も通過していきました。アレ、アレッ? これでは歩くだけで、テーマであった肝心の「大阪の陣ゆかりの地」は無視されて単なるウォークです。友人は茶臼山に行ったことがないというので、私達は急いで茶臼山に引き返しました。冬の陣では徳川家康が本陣を構え、夏の陣では真田幸村がこの山に陣を構えました。写真は茶臼山公園から見た阿倍野ハルカスです。

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 皆が通過して行った一心寺に戻り、本多忠朝の墓や、真田の抜穴井戸跡を見たあと、幸村終焉の地・安居神社を訪ねました。真田幸村公の像の前で、地元のボランティアガイドさんが丁寧に説明してくださいましたので聞いていたら、ウォーク担当の某ウォーキング会のアンカーが到着して、「最後なので早く行くように」と催促します。聞いていた私たちだけでなく、説明してくれていたガイドさんに対しても大変失礼な言い方でした。これでは、本当に単に歩くだけで、最悪のウォークになりそうです。

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 愛染堂です。境内に「愛染かつら」の木があります。男性的な大きなカツラの木に、女性的な細いカズラが寄り添う姿が、男女の縁を結ぶ霊木「愛染かつら」として祀られるようになり、「愛染かつら」として映画にもなりました。

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 増福寺に立ち寄ります。門前に建つ薄田隼人の石碑。

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 薄田隼人の墓。「大坂の陣・後藤又兵衛コース」で見てきた羽曳野市にある薄田の墓は、戦死した場所に建てられていましたが、この墓(五輪塔)は、隼人の6代目子孫の薄田兼実が江戸時代後期の文化11年(1814)に隼人200年忌の追善供養として建てました。五輪塔周囲には薄田一族の墓が並んでいました。 

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 生國魂神社。もともとは大坂・石山本願寺の近傍にあったが、信長の石山合戦で戦火に巻き込まれ焼失。天正3年(1583)石山本願寺跡に豊臣秀吉が大坂城を築城、その折に神社は現在地に移りました。

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 円珠庵(えんじゅあん)。鎌八幡と呼ばれます。大阪冬の陣に際して、真田幸村が境内の霊木に鎌を打ちつけて、戦勝を祈願したところ、見事に勝利したと伝えられています。

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 真田山の一角にある 心眼寺(しんげんじ) に立ち寄りました。コース地図には「しんがんじ」とルビが付されていましたが、「しんげんじ」が正しいようです。心眼寺は、元和8年(1622)白牟(はくむ)和尚が真田幸村と大助 父子の冥福を祈るために創建しました。

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 山門の手前にある真田丸跡の石碑(左)と、境内にある真田幸村の墓(右)。墓には「従五位下 真田左衛門佐豊臣信繁之墓」と記されています。大坂の陣のあと、江戸時代になると、大坂は江戸幕府の直轄地となり、豊臣方の武将などの墓は作ることが出来ず、冬の陣400年目の昨年10月に幸村の墓が建てられました。先述の増福寺の薄田隼人の墓も同様で、ほとぼりの冷めた大坂冬の陣200年後に墓が建てられています。

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 真田山の東端にある 三光神社 に到着。

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 左写真は、大阪城に繋がっていると伝わる「真田の抜穴跡」です。石垣の上には、六文銭の垣楯と大筒が並び、冬の陣での真田丸の様子が再現されています。右手には冬の陣で采配を振る姿の「真田幸村の像」が建てられています。

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 当時の大坂城三の丸に位置し、大坂城の鎮守社として、豊臣秀頼 が社殿を復興した玉造稲荷神社。淀君と胎児であった秀頼をつないでいた胞衣(えな=いわゆる羊膜等)が収められた胞衣塚大明神などが祀られています。

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 細川忠興の屋敷跡に残る 越中井 です。忠興の正妻・細川ガラシャは、関ヶ原の戦いの前に、石田三成に攻められ、この地で亡くなりました。この越中井の南にある玉造カトリック教会には細川ガラシャと高山右近の像が建てられています。玉造一帯は、細川以外にも、前田、宇喜多、島津、鍋島、小出など有力大名の屋敷が立ち並んでいました。

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 大阪城公園の教育塔前の広場が、ウォークのゴール地点でした。スタート時に見かけた介護犬のラブちゃん一行も無事にゴールインしていて、安心しました。

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 コース概略:四天王寺から大阪城公園まで、本日の歩程は 12.8km でした。

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 ウォーキング後は、JRで新今宮駅へ出て、新世界・ジャンジャン横丁へ。久しぶりに「串かつ・だるま」で疲れを癒しました。だるまはご存知のように、2000年に当時の店主(3代目)が病に倒れ、閉店危機に陥いりましたが、学生時代からの常連客であった赤井英和さんが救いの手を差し伸べた結果、店は再開され、今まで以上に繁盛するようになりました。今ではミナミだけでなくキタ新地(梅田)にも進出、昨年は安倍首相も店に来ています。