伏見・三栖閘門から宇治川堤防上の歩道を歩き、淀・八幡(やわた)方面に向かいます。

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 宇治川堤防とクロスする、阪神高速道路・京都線や国道1号線の鉄橋の下を通り抜けると、しばらくは京阪電車本線と並行しながら歩きます。京阪2400系 淀屋橋行き準急電車です。

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 京阪電車の線路を挟んで、京都(淀)競馬場と向き合う所が、淀千両松と呼ばれ、戊辰戦争激戦の跡地です。戊辰戦争東軍慰霊碑 が建っています。佐川官兵衛率いる会津別選組、土方歳三率いる新選組、京都所司代・見廻組、桑名藩などの東軍が、薩長らの西軍と激戦を繰り広げ、会津白虎隊・飯沼貞吉の叔父・飯沼友次郎もここで戦死しています。

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 サクラに囲まれた淀城跡。この淀城は、廃城となった伏見城に代わって江戸時代に徳川幕府の命によって築城されたものです。安土桃山時代に秀吉の愛妾・淀君の住んでいた淀城(淀古城と云う)ではなく、淀古城はここより北500mほどの所にありました。この辺りから本降りとなってきました。大きな傘をぶら下げてきて正解でした。この淀城跡公園の中にある東屋で、雨を避けての昼食となりました。

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 淀千両松で薩長に破れた新選組など幕府軍は、淀城に入って戦況の立て直しを計ろうとしますが、幕府方であるはずの淀藩は、薩長と戦う意思がなく、あろうことか城門を閉ざし、同士の入城を拒んでしまいます(藩主である老中・稲葉正邦は当時江戸に滞在しており、藩主抜きの淀藩の判断でした)。入城を拒絶された幕府軍は、男山・橋本方面へ撤退を余儀なくされ、戦死者は更に増大しました。淀藩が幕府軍を入城させていれば、戦局はかなり変わったであろうと云われています。将軍(徳川慶喜)や老中(稲葉正邦)の幕府トップが、こんな逃げ腰では幕府軍が勝てるはずがありません。新選組や会津・桑名両藩などは誰のために戦ったのか、さぞ無念であったことでしょう。

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 淀城本丸石垣。昼食後は淀城をあとにして、桂川の堤防に出て、背割提へと向かいました。この淀・八幡から山崎にかけて、宇治川・木津川・桂川が順次合流しながら(三川合流)、淀川となって大阪湾に流れて行きます。

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 宇治川と木津川の合流する手前の中州が 背割提(せわりてい) です。一昨年、人気お花見スポットランキング日本一にもなった桜の名所です。写真は宇治川から見た姿で、並木の向こう側が木津川です。

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 背割提の入口、雨にも関わらず、沢山の見物客が来ていました。

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 満開の桜並木の下を歩きます。背割提の醍醐味は、なんといっても、この延々と続く桜のトンネルです。

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 下の側道から見上げたサクラ並木。約1.4kmに渡ってソメイヨシノの並木が続きます。実はここは、昭和30年代の半ばまで見事な松並木でした。近くに木津川の流れ橋もあって時代劇の絶好の撮影地だったのですが、松枯れの被害で3年程の間に全てダメになってしまい、桜に植え替えられたのです。

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 雨の中、傘を差してのサクラ見物もわるくはありません。

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 人の入ってない写真を1枚と、やっと撮れたと思ったら、下の側道に人物が写ってた。

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 背割提の最先端。この先で宇治川と木津川が合流しています。ここでUターンして、再び1.4kmの桜トンネルを引き返します。

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 存分に背割提のサクラ見物をしたあとは、御幸橋を渡って、京阪・八幡市駅でゴール・解散となりました。皆さんの傘にも俄仕立ての桜吹雪が見られました。

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 コース概略:近鉄・桃山御陵前駅(スタート)→大手町商店街→竜馬通り→京橋→宇治川派流沿い→三栖閘門→宇治川沿い→京都(淀)競馬場前→淀城跡→桂川沿い→背割提→御幸橋→京阪・八幡市駅(ゴール)。本日の歩程 16.3km 、曇後雨の中、結構歩いていました。