太閤道とは、明智光秀謀反の時、備中松山城水攻めの途中で引き返した豊臣秀吉が、現在の大阪府高槻市から山越えをして大阪府三島郡島本町へと抜けた山道で、山崎の合戦に挑んだことから、こう呼ばれるようになりました。今回は島本町から高槻市へと逆回りで歩きました。

★シルバー健康ウォーク 「太閤道」 5/15

 3月で解散となった相楽健康ウォークの、仲の良かった有志たちによる月一回の歩こう会です。4月の「伏見及び背割提の桜見物」の時には、まだ名称も決まっていなかったのですが、今回よりシルバー健康ウォークと称するようになりました。

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 京都駅で乗換え、JR京都線(東海道本線)の島本駅に集合です。東海道本線の高槻・山崎間は明治9年(1876)開業以来、駅間距離が7.5kmもありました。このため、区間途中での新駅誕生が望まれていて、ようやく2008年にJR島本駅が開業しました。

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 JR島本駅前にある、国指定遺跡「桜井驛跡」です。驛と云うのは大化の改新以降、全国の幹線道路に一定距離毎に置かれた驛家のことで、公用の旅行や通信が円滑にいくように人馬や宿などが提供された施設です。桜井驛は西国街道の驛家です。”青葉茂れる 桜井の 里のわたりの夕まぐれ 木(こ)の下陰(したかげ)に 駒とめて 世の行く末をつくづくと 忍ぶ鎧(よろい)の袖の上(え)に 散るは涙か はた露か" の歌で有名な、楠正成・正行父子の訣別の地・桜井です。公園内には「楠公父子訣別之所」の石碑(乃木希典大将揮毫)と、楠公父子の石像が建てられています。

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 JR線や名神高速道路高架下を横切り、若山神社に向かいます。途中で見た花たちは‥(左上)ヒレアザミ、(右上)キツネアザミ、(左下)センダン、(右下)キリ。

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 山麓の若山神社に到着、境内で小休止です。

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 若山神社の一角にある太閤道(島本町)登山口です。

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 しばらくは険しい急登が続きます。

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 「若山神社大阪府自然環境保全地区」の標識が見えると急坂も終り、ゴルフ場フェンス沿いの山道に入ります。この辺り一帯は樹齢200年を越すツブラジイを主体とする都市近郊では珍しいシイ林です。

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 四つ辻・分岐点の標識を左折し、金龍寺跡方面へと入ります。

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 淡黄色の小さなマメ科特有の花が、足元の山道に沢山落ちていました。上を見上げると高木の サイカチ(皁莢) でした(上段写真)。当地などでは殆ど見ることの出来ない樹木でした。写真下は、満開状態だった コツクバネウツギ(小衝羽根空木) です。

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 三川合流が眼下によく見える展望所で昼食をとりました。

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 昼食後は尾根筋を金竜寺跡を目指します。途中にある若山(太閤山とも呼ばれる。標高316m)の頂上には、3等三角点が設置されています。またこの少し離れた地点には2級基準点も設置されていました。若山は太閤道に於ける最高点ですが、知名度は全くありません。

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 ようやく 金龍寺跡 に到着です。延暦9年(790)に創建され江戸末期まで栄達の道を歩んできましたが、明治以降は無住寺となり荒廃し、昭和58年(1983)心無いハイカーの火の不始末で完全に焼失してしまい、今は石垣や幾つかの礎石が残るだけです。

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 金龍寺跡から高槻市側の太閤道登山口までは、往時の金龍寺参詣道で、丁石が幾つも残っていました。民家が見えてきた所のバス停・磐手橋で自由解散となり、高槻駅までまだ歩く人と、バスで駅に戻る人の2組に別れて、各々帰途につきました。

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 コース概略は省略、本日の歩程は 9.2km でした。