奈良県・高取町は、明日香村(飛鳥)の南端に位置し、日本屈指の山城・高取城の城下町として、あるいは壺阪寺の門前町として、更には製薬の町として、古来より栄えてきたところです。今回のウォーキングでも、盛り沢山に高取の色々のところを訪ね歩きます。

★桜井・森とふれあう市民の会 「高取を巡る」 5/31

 当日は近鉄・吉野線「市尾駅」に午前9時に集合です。50名限定企画のこの会も、常連参加者に加えて、今回初参加の人々が10数名みられました。

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 市尾墓山古墳 の見学からスタートです。よく管理された古墳は、墳丘の長さが70m、高さが10mの前方後円墳です、墳丘上の樹木類もないので、古墳の全体を明瞭に見ることが出来ます。出土遺物から6世紀初め、古墳時代後期の古墳と推定されています。

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 この日は特別に石室を開けて頂き、石室内に入ることが出来ました。巨大な凝灰石をくりぬいた家形石棺は大和でも最大級のものです。石室の奥壁は、小さな閉塞石で閉じられていて、ちょっと珍しいタイプの古墳でした。

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 古代の瓦を焼いた市尾高台瓦窯跡を見学したあと、市尾宮塚古墳 を訪れました。墳丘の長さ44m、高さ7mの前方後円墳です。この古墳も普段は鍵がかけられていて内部見学は不可ですが、施錠された鉄扉に近付くと、自動的に内部の照明がつき、実物の石棺が見られるようになっていて、親切な管理体制がなされています。ここでも本日は私達のために、特別に鍵を開けて頂き、石室内に入ることが出来ました。

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 この古墳にも、凝灰石をくりぬいた家形石棺が残されていました。石棺内が見えるように上蓋との間に石材を挟んで隙間が作られており、石棺内に塗られていた赤い顔料もかすかに見えました。

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 ガラス工房に立ち寄り、吹きガラスの実演を見せてもらったあとは、小島神社の収蔵庫に保存されている「ナモデ踊り絵馬」3枚を見学です。ナモデ踊りとは、雨乞祈願や、その願いがかなった時に踊られる太鼓踊りです。ここに伝わる絵馬は大和の代表的な民俗芸能である太鼓踊りの、かつての形態を示す芸能資料として価値が高いと云われています。

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 収蔵庫の鍵を開けてもらい、内部に保管されている絵馬を見学しました。最もも古い絵馬は享保8年(1723)作ですが、剥落が著しくて原画がよく見えません。これは二番目に古い、263年前の宝暦2年(1752)制作の絵馬です。高取藩主・植村家道により奉納されたもので、踊りの一団が隊列を整えて神社境内に練り込むさまが活き活きと描かれています。

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 信楽寺(しんぎょうじ)にある お里・沢一の墓 です。盲人とその妻の夫婦愛を描いた浄瑠璃「壺坂霊験記」は、浪曲にも取り入れられて「妻は夫をいたわりつ、夫は妻に慕いつつ~」の名調子で一躍世に知られることになりました。

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 13時10分、高取児童公園の中にある「やすらぎ荘」に到着、昼食となりました。公園の入口にある門は、高取城の松の門が移築されたものです。

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 遅い昼食のあとは、阿波野青畝(せいほ)の生家を訪ねました。阿波野青畝は高浜虚子の弟子で昭和を代表する俳人でした。

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 再び土佐街道を引き返します。植村家の長屋門が目を惹きます。青畝文学館や、くすり資料館、夢創舘などを順番に見学し‥

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 子嶋寺に着いたのは、16時10分を過ぎていました。高取城の二の門を移築した山門です。明治半ばまで、ほぼ無傷で残っていた高取城の天守閣などが、何のためらいもなく破壊され、城門や廃材等は売り払われてしまいました。現存していれば日本一の山城として国宝にもなっていたであろうに、明治政府の数々の悪行には、ただただあきれ返るばかりです。高取城については → こちら。

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 そのあと、最後の訪問地、人頭石 を見物です。光永寺の境内にある高さ1mの、人の顔の左側だけの石像物です。飛鳥の各地に点在する謎の石造物の一つで、猿石と同時に掘り出されたとみられています。7世紀中頃の作とされ、ペルシャ文化の影響が入っているとも云われています。見学を終えると、もう16時45分でした。ここで自然解散となり、近鉄・壺阪山駅へと急ぎました。本日の歩程は 11.8km でした。