日本の国鉄(JR)は、基本的に同じ駅名はありません。同じ駅名を付けられると、どの駅から乗車したかわからず混乱しますので、例えば滋賀県の「石山」駅に対して、新潟県は「越後石山」駅などのように、どちらか一方が「越後」等の旧地名などを付けるのが一般的です。しかし、どちらも譲らず「同名」を語る駅名も結構あります。当地(京都府)の「加茂」駅も、新潟県に同じ「加茂」駅がありますし、奈良県の「郡山」駅も福島県に「郡山」駅があります。それぞれ鉄道が開業した明治期は私鉄が主流でしたので、同じ駅名であっても何の混乱もなかったのですが、明治39年(1906)に国有鉄道法により各地の鉄道が国有化され、一本化されると、同じ駅名問題が発生しました。奈良の郡山にも当時、国から「福島県に郡山があるから名前を変えろ」と圧力があったそうです。奈良の郡山は、戦国時代には大和・紀伊・和泉3ヶ国、100万石を擁する豊臣No2の大納言・豊臣秀長が住む天下の城だった誇りがあります。江戸時代になってからは、領地も石高(15万石)も減少しますが、代々徳川譜代の大名が統治し、水野・松平・本多のあとに、享保9年(1724)には柳沢吉里が甲府城から転封され、明治の廃藩置県になるまで柳沢藩として君臨しました。この最後の藩主だった柳沢保申(やすのぶ)伯爵が、「郡山」の名を主張して譲らず、国鉄を説き伏せたのです。ちなみに奈良県生駒郡郡山町が市制に移行したのは昭和29年(1954)のことで、大正13年(1924)に早々と「郡山市」となった福島県には流石に抗せず、市名は「大和郡山市」となりました。ちなみに、国鉄(JR)ではこうした同じ駅名の場合、福島県・郡山の切符は「(東)郡山」とか「(北)郡山」と表示され、奈良県・郡山の切符は「(関)郡山」と云う表示等になっています。東や北は多分「JR東日本」や「東北本線」の駅であることを、関は関西本線の駅であることを意味しているようです。

★JRハイク・大和郡山市観光協会「秀長の城下町 大和郡山」 12/13

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 大和郡山は、当地からはJRで4駅目、20分弱ですので、しょっちゅう散策していてる所ですが、今回のウォークは、観光協会のボランティア・ガイドさんの説明を聞きながら歩く企画ですので、まだ知らない話が聞けるかも‥と期待して参加しました。JR郡山駅を9時20分にスタートです。

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 郡山藩最後の藩主・柳沢保申は、大変立派な人だったようで、藩主としてよりも、明治以降、自分の臣下や領民たちのために尽力し、奈良県の繁栄に貢献したことで高い評価を得ています。今では大和郡山と云えば 金魚の名産地 として有名ですが、これは明治20年(1887)に柳沢伯爵が、金魚の研究所を設立し、普及に努めさせたことに端を発します。更に産業の発展を目的に、明治26年(1893)には 郡山紡績会社 を創立しています。JR郡山駅の北西部は(線路を挟んだ東北部も含めて)、今は大きな公団住宅等になっていますが、前の道路も含めてこの地域一帯は、すべて郡山紡績会社の広大な工場跡地です。郡山紡績は、その後合併を繰り返し、大日本紡績(ニチボウ)となり、昭和39年(1964)、ニチボウ郡山工場は閉鎖となってしまいました。ニチボウは、その後現在のユニチカへと変遷していったのはご承知の通りです。

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 郡山城の外堀だった所は、今は一部が 外堀緑地公園 となっています。外堀の内側には寺院が多く見られますが、いざと云う時の出城(でじろ)として用いる意図があったと云われています。

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 源九郎稲荷神社 を訪ねました。源義経は兄・頼朝に追われて吉野山に逃れますが、足の遅い静御前があとを追う時に、一匹の白狐が義経の忠臣・佐藤忠信に化けて、道中、静御前を守り通し、無事吉野へと送り届けます。義経はその白狐の忠義に感服し、奥州に逃れるため白狐と別れる際に、自分の名を与えて「源九郎」と名乗ることを許したそうです。このくだりは、歌舞伎「義経千本桜」の一幕でよく知られています。神社には歌舞伎役者さん達も参られていて、六代目・中村勘九郎さん植樹の梅と桜もみられます。ところで、吉野に祀られた源九郎稲荷神社でしたが、豊臣時代に、百姓出身の豊臣家は、武家の家系である上杉謙信らのように毘沙門天などの家の守護神を持っていなかったので、長安寺村の宝譽という僧侶の勧めで、源九郎稲荷神社は豊臣家(秀長)の守護神として郡山城内に招かれ、吉野から移転しました。江戸時代になって城内から現在地へと遷座しました。これら大筋の話は知っていましたが、本日は特別に神主さんから直接お話を聞くことが出来ました。小さな稲荷神社ですが、伏見・豊川と並ぶ日本三大稲荷とも言っておられました(但し、日本三大稲荷は様々な組合せがあって一定していません)。

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 柳町商店街の一角にある 金魚が泳ぐ電話ボックス。大和郡山市の新しい人気スポットです。

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 洞泉寺町にある郡山遊郭の跡。3階建ての木造住宅です。予約をすれば内部を見学することも出来ます。2階3階が客室で、一室は三畳一間だそうです。一帯には当時の遊郭が幾つか残っています。

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 箱本十三町を歩き、豊臣秀長公の菩提寺「春岳院」に到着です。豊臣秀長の菩提寺であった大光院が、豊臣家滅亡後、京都に移築 されたので、この東光院が秀長の位牌を託され、大納言塚の管理を任されました。以後、秀長の法名から春岳をとって、寺名を東光院から春岳院に改めました。

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 残念ながら、本日のウォークでは立ち寄れなかった、豊臣秀長公のお墓「大納言塚」です。お墓の台座には「大光院殿前亜相春岳紹栄大居士」と秀長の法名が刻銘されています(今年1月に撮影)。

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 このあと、郡山城内を散策しました。追手門(右)と追手向櫓(左)です。

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 現在、天守台石垣は修理中で、天守台周辺は立入禁止となっていました。

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 永慶寺の山門。永慶寺はもともと甲斐の甲府にあった柳沢家の菩提寺でしたが、享保9年(1724)に、甲斐一国は幕府直轄地となり、柳沢家は大和郡山へ転封され、寺領安堵の朱印状を得られなかった永慶寺は、柳沢家ともども大和郡山へ移転してきました。

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 本家菊屋。創業は天正13年(1585)ですから、430年以上続く老舗中の老舗の和菓子店です。豊臣秀吉をもてなす茶会に何か珍菓を作るようにと秀長公から要請されて、粒餡を餅で包み、きな粉をまぶした1口サイズの餅菓子を献上したところ、秀吉は大層気に入り「鶯餅」との銘を賜ったそうです。この店は城の大門を出て、町人街の1軒目に位置していたことから、いつの間にか「城の入口で売っている餅」→「城之口餅」という通称がつき、今日まで至っています。

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 土産店に併設されている「金魚すくい道場」。大和郡山市では、毎年「全国金魚すくい選手権大会」が開催されていて、市内のあちこちで、こうした金魚すくい道場があります。

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 最後の訪問地、薬園(やくおん)八幡神社に到着です。ここは郡山でも、郡山城・源九郎稲荷神社・大納言塚などと並んで、私が一番よく訪れる所ですが、庭園の薬草と、狛犬の秘密以外は、殆ど何も知りません。今回は目新しい話が幾つか聞けました。まず神社前に建つ石碑です。「国史現在社○○」と記されていますが、今まで何のことかわからず、特に調べようともしなかったのですが、ガイドさんから初めて意味を教えてもらいました。日本の神社には「式内社○○神社」などと表記されていることがありますが、式内社とは、平安時代中期の延長5年(927)にまとめられた延喜式神名帳に載っている、朝廷から官社として認められた神社のことで、全国に2861社あります。そこに記載されていない神社を「式外社」と呼びます。式外社の多くは、それ以降に造られた神社なんですが、式外社の中でも、六国史(日本書紀・続日本記・日本後紀・続日本後紀・日本文徳天皇実録・日本三大実録の6つの国史)に記載がある神社を、特に国史現在社と呼び、全国に391社あるそうです。この式内社と国史現在社の両方を合わせた三千数百の神社が、当時の国家から認められていた神社でした。早い話、式内社や国史現在社は、神代の昔から平安時代初期頃までに既に存在していた、古い神社と云えます。

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 薬園八幡神社の神主さんは、かなりご高齢の女性でしたが、いろいろ丁寧に説明していただきました。本殿の中に置かれていて今まで全く知らなかったのが、八幡宮の扁額(左)と 小野小町の肖像画(右)でした。八幡神社の「八」の字は鳩をモチーフにしていることが多いのですが、ここは「八」だけでなく「幡」の字にも鳩が入っており、とても珍しいそうです。また、本殿内には百人一首全員の肖像画が掲げられていましたが、昔の肖像画で小野小町の顔を正面から描いているのは、これだけだと言っておられました(殆ど横顔か後ろ姿だそうです)。いずれも本殿の外から、暗い本殿内に向けてコンデジで撮らせてもらいましたので、写真が鮮明でないのが残念でした。

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 最後に、薬園八幡神社の狛犬の秘密を紹介しておきます。狛犬には「天明元年(1781)丑稔十一月 吉辰建、細工人 松本伊兵衛」との刻銘があります。奈良の狛犬は、”丹波の佐吉”など大坂の石工の手によるものが多いのですが、松本伊兵衛は地元・郡山の石工で、他には郡山八幡神社の狛犬も伊兵衛の手によるものです。右が 阿形の狛犬(獅子)、左が 吽形の狛犬 です。一般的には、2つ合わせて「狛犬」と呼んでいますが、通常は狛犬1頭と獅子1頭で一対となります。角がある方が狛犬で、角がないのが獅子です。でも、雄か雌かまではわからないのが普通です。ここの狛犬の秘密はそこなんです。

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 写真のように、左の狛犬が雄で、右の獅子は雌です。雌雄がわかる狛犬は大変珍しいのです。
さて、本日のガイド・ウォークはここまでで、あとはJR郡山駅に戻り解散するとのことでしたので、私は神社で皆さんとお別れして、もう一度、郡山城に戻って、ゆっくり散策した後に帰途につきました。本日の歩程は 10km でした。