関西で雛祭りと云えば、奈良の大和郡山市や高取町、滋賀県の日野町などが有名ですが、加茂の雛祭りも今年で11回目を迎えます。木津川の運搬船の荷揚げ、明治の関西(かんせい)鉄道・加茂駅の開業などで、商店街は栄え、江戸から明治期の旧家には、古いお雛様が沢山残されていて、最近では遠くからの観光客も訪れておられるようです。そのお雛様の展示の中に混じって、「かも鉄道歴史展」も出展され、今年は3年目にあたります。私にとっては、お雛様よりこの鉄道展を見るのが本命で、出掛けてみました。

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 旧商店街の一角に出店していた「第3回かも鉄道歴史展」です。今年のテーマは「汽車から電車へ」です。加茂駅は関西鉄道が名古屋から伊賀上野を経て関西に伸長してきた関西の基点でした。加茂機関区が置かれ、ここが奈良への大仏線(いわゆる大仏鉄道)、新木津を経て大阪の片町へと伸びる本線との分岐点でした。関西鉄道はやがて国有化され、加茂駅は、以後、国鉄・関西本線の重要拠点として現在にまで至っています。加茂在住の旧国鉄OBらによる「加茂の鉄道遺産に親しむ会」の人達によって保存されている資料を展示、説明されていました。右側の人は、かつての蒸気機関車の機関士の服装姿です。

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 出店内の展示様子。

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 客車の側面にかけられていた「行先標」。方向板、行先板とも云います。

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 駅のホームの柱などに付けられていた関西本線関係の「駅名板」。折角きれいに並べられていたのに、「かも」の掲示順序が違っていて、「なら」→「かも」→「かさぎ」となるのが本来の順序です。「いまみや」と「やお」の間に「てんのうじ(天王寺)」があれば言うことなしでした。右上の丸いタブレットが懐かしいです。今の若者にタブレットと云っても、アイ・パッドやスマートフォンなどしか想像できないでしょうが、鉄道で云うタブレットは、単線区間での相互通行を安全にする通行証(通行手形)と云えばよいでしょうか。これがないと列車は走行できませんでした。優等列車などが駅に止まらず、通過する際には、ホーム端や機関車などに設けられた通票授器(タブレット・キャッチャー)に放り込んだり、受け取ったりしていました。スピードを落とさず、タブレットを機関士や運転士が授受する瞬間が、鉄ちゃんにはたまらない魅力で、写真に撮る人も当時は結構いました。

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 列車遅延報知板。いまのように電光掲示板のなかった時代には、列車が遅延したり、出発が遅れる場合には、改札口の上などに掲げられていました。

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 鉄道気象告知板。かつて通信手段が限られていた時代、地方気象台からの通報をもとに、各鉄道管理局が「鉄道電報」で各運転現場に伝えたのが気象告知で、現場は、ただちにこれに従った「気象告知板」を掲出しました。運転士によく見えるようにホームの柱やタブレットキャッチャー柱などに掲げられました。悪天候の中での通過列車の乗務員でも、最低、色だけで警戒内容を把握できるようにと警報内容は4色(青=雨、赤=風、緑=雪、黄=その他)に色分けされています。C59164のナンバープレートがありました。加茂駅とは関わりのない蒸気機関車ですが、梅小路蒸気機関車館には、C59164号機が静態保存されていますので、メンバーの人のコレクションでしょうか。実は、このC59164号機は、私にとっては一番思い出のある蒸気機関車で、いずれ稿を改めて取り上げてみたいと思っています。

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 C5756号機のナンバープレートです。これが実際に機関車に付けられていた本物です。通常走行時は黒ナンバーでしたが、赤ナンバーは特別用ですから、お召し機牽引の時に付けられたものと思われます。

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 このテーブルの上に並べられていたのは詳しく確認しなかったのですが、蒸気機関車の部品のようでした。「返りクランプ(手前右)」や「加減弁ハンドル(手前左)」、左手奥は「機関士席の運転レバー(ハンドル)」のようです。

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 この写真は、何度も紹介している加茂町のSL展示場にある C5756号機 です。こちらのナンバープレートは盗難の被害を避けるためにイミテーションとなっていて(既に何回かイミテーションも盗難にあっているそうです)、本物のナンバープレートは取り外されて、上記のように別途保管されています。機関車塗装はお召し仕様ですが‥

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 実際に天皇陛下などがご乗車されて運行される時には、上記模型のように機関車前面には国旗(日の丸)が立てられ、菊のご紋章が取り付けられました(写真はC59型お召し機の模型です)。

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 昭和34年(1959)、当時の皇太子殿下(今の天皇陛下)と美智子妃殿下が、ご成婚報告に伊勢・奈良・京都に来られた際に、お召し列車()を牽引する栄を担った C5756号機 にも恐らく、こうした菊のご紋章が付いていたはずです。中央に奈良機関区所属を示す「奈」の字がデザインされています。正しくは天皇・皇后・皇太后が乗られるのをお召し列車と云い、それ以外の皇族が乗られるのは御乗用列車と呼びます。この当時は皇太子さまでしたので御乗用列車でした。

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 昭和48年(1973)、関西本線の大阪・湊町~奈良間が電化され、この頃にはSL(蒸気機関車)最後の運転企画が色々行われ、「SL伊賀路の旅号」や「SL大和路号」などが、関西本線上に最後の勇姿を見せました。この時期には奈良運転所にも幾つかのSLが配属されていたはずですが、この写真に写っているのは、奈良駅で休んでいるC56160号機で、京都の梅小路機関区の所属機です。「SL大和路号」の応援に来ていたようで、当時、梅小路にいたD511号機も「SL伊賀路の旅号」などの応援に来ています。このC56160号機とD511号機は、今も梅小路蒸気機関車館(4/29には京都鉄道博物館としてリニューアル・オープン予定)に保存されています。特に、小海線(上諏訪機関区)から転属して梅小路に来たC56160号機は、C571号機と共に、動態保存され、現役蒸気機関車として、「SL北びわこ号」や「SLやまぐち号」として活躍してきましたが、JR西日本は平成26年(2014)に、これらをD51200号機に置き換える予定(平成27年秋以降に使用開始)と発表していますので、C56160号機は、この先、廃車(静態保存)になる可能性が高いです。

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 「SL大和路号」のヘッド・マークも展示されていました。

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 昭和63年(1988)、奈良駅から加茂駅までの電化延長が完了。加茂駅~湊町駅間の関西本線は 大和路線 の愛称が使用されるようになりました。電化完成を祝うヘッドマークが電車の先頭部に付けられました。

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 昭和63年(1988)3月13日の電化記念列車の発車風景写真です(写す角度が悪く、ビニールのカバーで見苦しくなってしまいました)。電車は113系、白地に赤ラインの関西本線色でした。

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 平成10年(1998)暮、迎春準備の門松が建てられた旧・加茂駅です。明治30年(1897)に関西鉄道の加茂駅として開業以来、1世紀に渡って親しまれてきた駅舎でしたが、翌年の平成11年(1999)12月には、新しく橋上駅舎(2代目加茂駅)に新装改築となりました。懐かしい写真です。