★木津川 山の会4月例会 「音羽山から醍醐寺へ」 4/10

 時系列的な整理が間に合わず、最近の出来事を先に記事にしたり、以前のものがこれからの記事となったりして、支離滅裂です。まぁ、どれもこれも、ここ半月以内の出来事ばかりですので、春の記録としてご理解ください。さて、木津川・山の会の今月の例会は音羽山(おとわやま)登山です。音羽山は、京都府京都市山科区と滋賀県大津市の境界に位置する山で、山頂の南北に連なる稜線が府県境を形成しており、山頂付近は京都府の管轄となっています。

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 当日は各自電車を乗り継いで、京阪・大谷駅に集合です。駅前にある蝉丸神社と東海道の要所、逢坂山の関跡です。山間の狭い地にある逢坂之関跡記念公園で、出欠確認と準備体操を済ませ、9時25分スタートです。

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 すぐに山に取り付きます。右手が北側に当たる逢坂山方面、左手が南側の音羽山方面です。その狭い山間を東西に国道1号線と京阪電車・京津線が走っています。JR東海道線の在来線は逢坂山の下を、新幹線は音羽山の下を、それぞれトンネルで通り抜けています。

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 いきなりの急登で、あえぐこと約20分で東海自然歩道に合流です。北の逢坂山から南の音羽山、京都の醍醐寺、大津の石山寺へと続く道です。

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 ホッとする間もなく登りは続きます。木段や石段が次々に現れます。階段歩きは疲れます。

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 音羽山山頂間近の緩やかな坂道を登ります。

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 10時50分過ぎ、歩くこと約1時間30分で、音羽山山頂に到達。山頂には3等三角点(点名:小山、標高:593.2m)が設置されています。点名の通り、音羽山は江戸時代には小山と呼ばれていました。京都市山科区の最高峰です。

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 音羽山山頂から西方(京都方面)を望みます。真下に山科盆地を横断する東海道新幹線が、大文字山から稲荷山へと続く東山連峰の東山トンネルへと向かっています。東山の向こうには京都市内と、更に最後方には、愛宕山から小塩山などの西山連峰がうっすらと見えていました。明日(4/11)は、この小塩山に登る予定です(ブログ掲載順序は小塩山の方が先になってしまいました)。

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 11時25分、東海自然歩道上のパノラマ台に到着、少し早めの昼食となりました。

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 パノラマ台から滋賀県方面を望みます。琵琶湖南端の近江大橋が見えていました。手前が大津市、橋の向こうは草津市です。琵琶湖はここから狭まって瀬田川となっていきます。

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 12時30分、通称:牛尾観音に到着。正しくは法厳寺(ほうごんじ)と云います。音羽山の西南にある支峰 牛尾山の中腹に建つ寺院で、かつては清水寺の奥の院と云われました。普段は無人に近いお寺も、1週間後の「春季御開帳・採燈大護摩供」の準備で大勢の人たちが作業に来ておられ、温かいジャスミン茶を振舞って頂きました。

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 本堂裏手の観音像の下に今も湧き出す霊水は、閼伽井金生水(あかいきんしょうすい)と呼ばれます。

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 牛尾観音の参道を下ってくると「桜の馬場」と呼ばれる分岐点です。私たちは渓流を渡り、横峰峠・上醍醐方面へと歩を進めます。

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 アップダウンを繰り返し、沢を渡り‥

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 14時丁度、横峰峠に到着です。正面の山を登って行けば上醍醐ですが、現在は、こちらからの入山は禁止となっていて、右手の下醍醐への下山道をとりました。

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 約1時間の下山で、15時、下醍醐(醍醐寺)仁王門前に到着です。醍醐の花見で有名な桜も殆ど散っており、この仁王門前の桜だけが、僅かに残っていました。ここで自由解散となりました。本日の歩程は 11.4km でした。

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 今回の山行で出会った花たちです。特筆すべき花は見られませんでした。左上:コバノミツバツツジ(小葉の三葉躑躅)、右上:クロモジ(黒文字)=山では一番多く見かけました。黄色い花と新緑がとても爽やかでした。左下:シキミ(樒)、右下:アセビ(馬酔木)。

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 左上:ミヤマハコベ(深山繁縷)、右上:ヒトクチタケ(一口茸)=まるで栗饅頭のような艶のあるキノコですが食べられません。成熟すると下部に一つの口が開くのが名前の由来です。松が枯れると、いち早く松の幹に発生するキノコなので「松の送り人」とも云われています。山では時々出会います。左下:ニワトコ(接骨木、庭常)、右下:ドウダンツツジ(灯台躑躅)=桜の散った醍醐寺の境内で満開でした。