「繖山」‥難しい字ですが「きぬがさやま」と読みます。今月の山の会例会は、滋賀県の能登川から安土へと連なる、湖東平野のゆるやかな丘陵地、猪子山(いのこやま)・伊庭山(いばやま)・瓜生山(うりゅうさん)・繖山(きぬがさやま)を縦走します。さて、毎年ササユリの最盛期は6月10日前後と、ほぼ一定していたのですが、今年は例年よりも1週間ほど早く、6月4日前後が一番の見頃でした。昨日(6/11)は滋賀県・甲賀でササユリを見ましたので、滋賀県の開花は他府県よりも遅いように思われ、もしかすると本日も見られるのでは、と期待して歩いたのですが、予想以上に多くのササユリと出会えた山行となりました。

★木津川 山の会6月例会 「繖山・安土城跡」 6/12

 当日はJR琵琶湖線(東海道線)能登川駅に集合。9時30分スタートです。

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 JR能登川駅から歩いて約15分ほどの所にある上山天満天神社の石鳥居が縦走登山口です。この猪子山一帯は、巨石信仰の山です。古代の人達は、奇岩・怪石などは神様が作られたものと思い、神聖な場所として神が宿ると考えていました。大きな船の形をした巨岩を祀る岩船神社や、猪子山頂上付近の巨岩洞窟(岩屋観音を祀る)などがあり、山腹には40基もの古墳群が点在しています。信仰の山ですので、岩屋観音までの道は参拝用に簡易舗装や石階段が施されています。

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 岩屋観音へと続く参道(山道)の両サイドには、ササユリが咲いていて、花と出会うたびに、思わず足が止ってしまいます。ササユリは地元の人達が管理されているようで、支柱が添えられたり、札が付けられたりして、野生の雰囲気が少ないのが、ちょっと残念でした。

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 それでも次々に現れるササユリに、元気をもらい、つらい階段歩きも苦になりません。

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 ササユリを見守っておられる人たちの立て札もありました。

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 大きな巨岩が居座る猪子山頂上付近。この右手下の巨岩洞窟内に、北向岩屋十一面観音 が祀られていました。観音堂前の展望台からの見晴らしも良かったのですが、天候がもう一つで遠方はもやっていてハッキリしませんでした。

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 岩屋観音の裏手にある、猪子山(いのこやま)山頂。四等三角点(点名:上山、標高:267.54m)が設置されています。

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 繖山縦走路の道や標識は、よく整備されているのですが、階段歩きは疲れます。予想以上にアップダウンが多くて、ようやく登ったと思えば下る、の繰り返しが続きます。

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 11時、瓜生山(うりゅうさん)山頂(標高:300m)に到着。頂上に建つ 雨宮龍神社 です。社殿の龍の彫刻が見事でした。

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 尾根筋の峠、地獄越(標高:217.6m)です。小さなお地蔵さんが祀られていました。

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 地獄越から繖山への中間地点あたりの展望地から見た眺望。右手に琵琶湖、左手に 安土山(標高:198m*)と西の湖。西の湖の奥手には八幡山丘陵と奥島山丘陵が霞んでいました。
 *安土山の標高は、100mとか108mと書かれていたり、190mとか198mとか書かれていたりして、NET上の表記はまちまちです。国土地理院の地図には 198m と明記されていますので「標高は198m」です。ただ、安土山は内陸部の山ですから、琵琶湖の湖面自体が、既に標高:84m程ありますので、比高(湖面の高さからみた山の高さ)は198-84=114で、実質的には100m強の高さの山と云えます。

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 登山中に出会った花たち。左上:ヤマツツジ(三葉躑躅)。ツツジ科ツツジ属の半落葉樹。上側の裂片には濃い斑点があり、オシベは5本。右上:ガンピ(雁皮)。ジンチョウゲ科ガンピ属の落葉樹。コウゾ、ミツマタと並ぶ和紙の原木です。左下:コナスビ(小茄子)。サクラソウ科コナスビ属の多年草。右下:オカトラノオ(丘虎の尾)。サクラソウ科オカトラノオ属の多年草。オカトラノオは、まるで風になびいているように、同じ方向に穂を垂れるのが特徴で、とても可愛いです。

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 12時00分、繖山(きぬがさやま)山頂 に到達。二等三角点(点名:繖山、標高:432.57m)が設置されています。繖山の別名は観音寺山です。

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 この繖山山頂で昼食となりました。頂上からの展望はきかず、私はササユリと隣り合うようにして食事をとりました。ここでリーダーから「観音正寺は寄らずパスします。食事の後は安土城に向かいます」とのコース変更通達がありました。私としては安土城はよく来ていますので、予定表に記されていた観音正寺(観音寺山城の遺跡)を見たかったので、出発時間寸前にリーダーに断って一人で観音寺山城方面に歩いてみましたが、余分な時間も少なくて、繖山の最高地点(標高:440m)まで行ったところで折返し、再び皆さんの後を追いかけました。

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 午前中だけでも沢山のササユリを見て来ましたが、午後からも、山道の両脇に咲く可憐な姿を見ると、つい足が止まってしまいます。この辺りのササユリは支柱も添えられておらず、自然な自生姿でした。

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 仲々いい感じで咲いています。

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 登山中に出会った果実たち。左上:ナツハゼ(夏櫨)。黒熟すると食べられます。言わずと知れた日本のブルーベリーです。右上:カクミノスノキ(角実酢木)。正式名はウスノキ(臼の木)ですが、関西ではカクミノスノキと呼ぶことが多いです。果実は熟すと甘いです。ここでは沢山の果実が見られましたので、久しぶりに食味してみました。左下:コジキイチゴ(乞食苺)。果実は中が空洞でコシキ(甑)に似ているので、コシキイチゴと名付けられたのですが、いつしか訛ってコジキイチゴとなってしまいました。ここではまだ未熟でしたが、オレンジ色に熟すると食べられます。右下:ニガイチゴ(苦苺)。種子に苦い成分が含まれているのでニガイチゴですが、普通に食べるには全く問題なく甘いです。

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 JR琵琶湖線のトンネル上にある北腰峠を横切り、13時30分、安土城跡 の入山口に到着です。ここで安土城跡を見学する組と非見学組とに分かれ、解散となりました。信長公好きの私は幾度も安土城跡を訪れていますので、今日は安土山には登らず非見学組で、安土駅方面へと向かいました。

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 駅に直行するだけでは、信長公には申し訳ないので、信長公ゆかりの朝鮮人街道を歩き、セミナリヨ跡 に立ち寄りました。信長公が宣教師たちに安土城下のこの一等地を与え、1580年、日本で最初に出来たセミナリヨ(神学校)の跡地です。本能寺の変のあと、セミナリヨは安土城と共に焼失してしまいました。

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 セミナリヨのありし日の姿です。左図は「ローマ教皇グレゴリオ13世伝(マルコ・アントニオ・チアッピ著、1596年イタリア刊)」に描かれた日本のセミナリヨ。上が有馬(長崎県島原)のセミナリヨ、下が安土(滋賀県)のセミナリヨです。右図は「安土・神学校の遺址(宮永孝著)」に著者宮永氏自身が描いた想像図です。信長公のお墨付きで、高山右近が陣頭指揮して建てられたセミナリヨは、純和風建築三階建てで、信長公の命により屋根瓦も安土城と同じ青い瓦に統一されました。

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 セミナリヨ跡に建つ パウロ三木の記念碑(顕彰碑) と後方に見える安土山です。三木は阿波国出身で(摂津国との説もあり)、セミナリヨの第一期生として入学、成績優秀で、のちにイエズス会に入会し、宣教師となります。日本各地から集められた優秀な若者(学生)たちは、ここでオルガンチノらからキリスト教理、ラテン語、西欧楽器演奏(ヴィオラやフルート、オルガン)、日本文学などについて幅広く学びました。本場ヨーロッパでもラテン語の習得には2-3年を要するのに、ここの学生たちは1年弱の短期間で習得したそうで、日本人の頭の優秀さに驚嘆したと、フロイスは「日本史」に記録しています。さて、この地から正面の安土山頂上にある安土城天主閣まで、距離にして700m程の近さです。信長公は城の上から、セミナリヨを見たり、時にはセミナリヨに直接やって来て、ヴィオラ演奏やグレゴリオ聖歌などの西欧音楽を聴いたそうです。パウロ三木は、信長公亡き後は、秀吉のバテレン追放令で京都で捕縛されて耳をそぎ落とされ、市中引き廻しのあと、長崎に送られて磔(はりつけ)に処せられました(長崎26聖人の1人)。三木の処刑四百数十年後の1981年、長崎に葬られていた三木の遺骨を、安土・セミナリヨ跡地に分骨し、記念碑が建てられました。

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 セミナリヨ跡から、本日、登った山の一つ、繖山(きぬがさやま)の全景が一望できます。

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 JR安土駅の駅前広場は、丁度改装工事中で、駅舎の屋根と信長公の銅像だけが顔をのぞかせていました。駅前で非見学組の皆さんと再び合流し、一緒に帰途につきました。

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 本日の歩程、JR能登川駅よりJR安土駅まで 10.7km 休憩含む所用時間 5時間でした。