所用で大阪に出掛けた折に、少しの間、天王寺界隈を歩いてみました。一昨年は大坂冬の陣400年、昨年は大坂夏の陣400年の記念年でしたので、この周辺は徹底して、何度も歩き廻りましたが、今年もNHK大河ドラマ「真田丸」の人気にあやかって、引き続き、各種イベントやウォーク企画が盛り沢山に行われているようです。今日は一人で、久しぶりに茶臼山周辺の一心寺と安居神社に花と歴史を訪ねてみました。

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 ジャカランダ。ノウゼンカズラ科ジャカランダ属の落葉樹。南米の熱帯~亜熱帯地方が原産地です。葉は2回羽状複葉で(1回羽状複葉または単葉の品種もあるそうです)、見かけはアカシアやネムノキに似ています。花は藍色または青紫色が基本で、ピンクや白色もあります。花が奇麗なので熱海や宮崎などでの温暖地では、観光の一役を担うべく植樹されています。大阪では一心寺のものが有名で、この花も一心寺で撮影しました。訪れた時期が遅くて、もう僅かしか花は残っていませんでした。

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 原産地では桜のように葉が出る前に花が咲きますが、日本では花より葉が先行して出芽します。青紫色の花は円錐花序につき、花冠は5裂します。

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 果実は偏平で、卵形または長円形の朔果、多数の種子を含んでいます。今は花と実の両方が見られますが、冬でも枝には実だけが付いています。

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 その他、一心寺で見かけた花たち。モッコク(木斛)。モッコク科モッコク属の常緑樹。モチノキやマツと並んで「庭木の王」と呼ばれるほど、日本の庭では好まれる樹木です。

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 モッコクは大きな赤い実が美しいのですが、丁度今は小さな花をいっぱい付けていました。

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 ノウゼンカズラ(凌霄花)。ノウゼンカズラ科ノウゼンカズラ属のツル性落葉樹。天王寺界隈散策では、花は一心寺のジャカランダ、愛染堂の愛染カツラ(ノウゼンカズラ)を見るつもりで下車したのですが、ポツポツと小雨が降っていたので愛染堂には行かず、一心寺のノウゼンカズラで間に合わせです。

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 一心寺の墓地越しに見る 通天閣

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 本多忠朝(ただとも)の墓所には、八重咲きのムクゲが咲き、カリンの実がなっていました。本多忠朝は、大坂冬の陣では飲酒で不覚を取り大敗し、家康に叱責されます。翌年の大坂夏の陣では、汚名を返上すべく、天王寺・岡山の戦いで先鋒を務め、毛利勝永軍に正面から突入、奮戦するも戦死しました。死の間際に、忠朝は「酒のために身をあやまる者を救おう」と遺言したといわれ、死後、この一心寺の忠朝の墓は「酒封じの神」として崇められています。

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 一心寺境内に戊辰戦争で亡くなった東軍戦死者招魂碑(一昨年撮影)があるのは知っていたのですが‥

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 一心寺の入り口近く、国道25号線に面した所に、会津藩士墓地の石碑が建っているのに初めて気付きました(左手に見えるのは阿倍野ハルカス)。帰宅後、調べてみますと、本多忠朝の墓所の裏手に、会津藩士13名の墓があるとのことでした。会津藩を愛してやまない私にとっては、これを知らなかったとは迂闊でした。次回には藩士の墓を一つづつ訪ねてみるつもりです。依然として小雨もやまず、時間も余りなかったので、あわてて安居神社だけ立ち寄ってみました。

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 安居神社。安居天満宮とも云います。

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 拝殿前に座する狛犬。いわゆる”丹波の佐吉”に代表される浪速型狛犬とは少しタイプが違います。狛犬に詳しい小寺慶昭氏は、著書「大阪狛犬の謎」の中で、このタイプを「杭全(くまた)型」と名付けておられます。杭全神社にある狛犬は、延享5年(1748)建立で、胴長短足のこのタイプ(杭全型狛犬)の元祖だと云われています。1748年は大阪では5番目に古い狛犬ということらしいので、安居神社の狛犬も、宝暦十二年(1762)の刻銘があり、大阪ではかなり古い狛犬に属しています。

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 安居神社に立ち寄ったのは、言うまでもなく、久しぶりに真田幸村公に会いたくなったからです。昨年、一昨年には何度も訪ねた安居神社ですが、今年もNHK大河ドラマ「真田丸」で幸村公の人気は続いており、今年は和歌山県の九度山を巡る企画が好評だそうです。

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 関ヶ原の戦い後、兄・真田信之の必死の懇願で命だけは助けられたものの、九度山に蟄居を命じられ、経済的にも困窮し不遇をかこっていた真田昌幸・信繁(幸村)親子。昌幸はここで生涯を終え、信繁も日の目を見ることもなく、このまま果てて行くはずだった身でしたが、高禄で呼び寄せてくれたのが豊臣秀頼でした。九度山を脱出して大坂城に駆け付け、最後の花を咲かせるべく、豊臣方として、ひときわ勇猛果敢に戦い、家康を身震いさせたほどの強者(つわもの)も、やがて多勢に無勢で、傷つき茶臼山の北端にあたる、この安居神社の松の木に寄りかかり、兜を脱いで休んでいたところを、敵兵に見つかり、潔く首を差し出したのです。降り続く、しとしと雨が幸村公の無念の涙のように思われる中、天王寺駅へと戻りました。