「一週間に十日来い」は五月みどりさんのヒット曲名ですが、今回は「一週間に二回も行った」若草山です。同じ場所へ立て続けに二回も行った理由は、ある植物を見たかったのですが、結果は見られずじまいでした。しかし、秋空のもと、気持ちの良いウォークが出来、可愛い鹿たちに癒されて、元気を貰うことが出来ました。

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 両日ともに、JR奈良駅よりスタート。三条通りを東に直進、春日大社一の鳥居を過ぎ、境内の鹿たちを見ながら、万葉植物園の手前で水谷茶屋へと向かいます。

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 約45分で水谷茶屋に到着ですが、休まず春日山原始林へと向かいます。

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 春日山遊歩道北入口から、昼なお鬱蒼とした春日山原始林(天然記念物)へと入ります。ヤマガラやシジュウガラなどの鳥が樹木の合間に見え隠れしますが、コンデジでは太刀打ち出来ないので、鳥の鳴き声だけを楽しみながら、坂道を登っていきます。

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 奈良駅から歩くこと2時間強で若草山頂上裏手にあたる、鎌研(かまとぎ)交番所に到着。交番所と云ってもお巡りさんが居る交番所でなく、若草山・奈良奥山ドライブウェイの検問所です。この向こうに若草山山頂駐車場があります。

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 12時丁度、若草山山頂に到着です。若草山は、古くは 鶯(うぐいす)山とか 山が三つの笠を重ねたようになっていますので 三笠山 と呼ばれてきました。下から一重目、二重目となり、最上部が三重目です。安部仲麿が中国で望郷にかられて詠んだ和歌 ”天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かも" の、三笠山はこの若草山のことです。
三笠山は、昭和10年に大正天皇の第4皇子が即位されて、「三笠宮」の宮号を賜られてからは、三笠山と呼ぶのは畏れが多いと云う事で、若草山と呼ぶようになりました。奇しくも、この原稿を書いている本日(10/27)、三笠宮殿下が百歳で薨去されました。

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 山頂北側の小高い丘が、若草山の最高地点です。1500年前の古墳時代中期の前方後円墳、鶯塚古墳 となっています。埋葬者は不明ですが、清少納言の「枕草子」に記されている「うぐいすの陵(みささぎ)」は、ここと云われていて、古墳の名前もこれに由来しています。この鶯塚古墳の石碑と並んで、国土地理院の 三等三角点(点名:三笠山、標高341.62m)が設置されています。

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 若草山の頂上にいる鹿に餌をやろうとサツマイモとミカンを準備して行ったのですが、サツマイモが見当たりません。ザックに入れ忘れたようで、仕方なく持ってるだけのミカンを取り出して与えました。鹿は両方とも大好物で、私にまとわりついて離れません。

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 汗が出るほどの暖かさの中で昼食としました。手前の山が若草山の二重目、遠くに見える山並みは金剛・生駒山系で、右端が生駒山、左端が金剛山・葛城山です。昼食後は再び春日山原始林を引き返します。

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 水谷茶屋の手前で右折すると、若草山の西方の山麓に出ます。観光客で賑わうところですが、ここからの若草山は一重目が見えるだけで、二重目・三重目の山は隠れて見えません。

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 帰路は、奈良公園を散策です。手向山八幡宮を抜けて、東大寺・二月堂に上がりました。

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 東大寺・大仏殿に立ち寄り、南大門では伊行末の石造狛犬「石獅子」とゆっくり再会しました。相変わらず、観光客は南大門南側の運慶・快慶の仁王像(国宝)を見るだけで、北側の石獅子(重要文化地)を見る人は皆無です。

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 鹿に癒される人、癒されたい人‥奈良では沢山みかけます。

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 奈良国立博物館。丁度今、「正倉院展」が開催されています。来週初めには東京在住の学生時代の友人が正倉院展を見学に来る予定なので、久しぶりに一緒に食事をし、奈良公園でも散策するつもりです。

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 興福寺の東金堂と五重塔。ここも外人観光客や修学旅行生たちでいっぱいです。早々にJR奈良駅へと戻りました。JR奈良駅から若草山へのピストン登山をして、奈良公園散策を経て再びJR奈良駅に戻るまでの歩程は、約 15.5km (しかも二回では計30km強)でした。

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 忘れるところでした。最後に私を一週間に二回も若草山に駆り立てた張本人がこれです。春日山原始林に ツチグリ(土栗)を探しに行ったのです。一回目の登山時に探し当てた ツチグリの幼菌(写真) が4つありましたが、まだ口が開いておらず、数日後には開くであろうと再挑戦したのですが、なんと二回目には跡形もなく無くなっていて、星型のツチグリの姿は見られませんでした。残念。