11/26、学生時代のクラブOB会が京都市内で行われました。午後からのOB会の前に、午前中は会場近くの相国寺、同志社、京都御所などを散策してみましたこのあたりは子供の頃の遊び場でしたので、私的ネタで恐縮ですが、当時を思い出しながら懐かしく歩いてみました
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京都五山の一つ、臨済宗・相国寺の三門跡 の紅葉です。
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当日は、京都市営地下鉄へ直通乗り入れの近鉄の急行電車に乗り、地下鉄・今出川駅 で下車。京都御所・同志社・相国寺方面へ出ます。
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右手(南側)が京都御所、左手(北側)が同志社・相国寺方面です。
今出川通りに面して同志社側の一角にある 冷泉(れいぜい)家 です。藤原定家の血をひくお公家さんですが、私たちの子供の頃は、堅苦しいこともなく、家族ぐるみで付き合っていました。冷泉姉妹は私の妹二人といずれも同級生でしたので、妹たちは遊びに行っては十二単などもよく見せてもらっていたそうです。
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今出川通りを挟んで、京都御所の今出川御門と同志社の正門が向かいあうところを北に入りますと、大本山・相国寺の総門(南門)です。相国寺は14
世紀末、室町幕府3代将軍・足利義満により創建されました。正しくは「しょうこくじ」ですが、このあたりの住民は誰もが「そうこくじ」と呼んでいました。義満の頃には京都五山の第一位に叙せられていましたが、その後見直されて第二位となりました。金閣寺や銀閣寺が相国寺の山外塔頭(末寺)であることは余り知られていません。
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応仁の乱の時には、細川勝元率いる軍がこの近くに陣を張り(東陣)、山名宗全率いる軍が大宮通り近くに陣を張りました(西陣)。今は地名としては西陣だけが残っています。相国寺は、50近くの塔頭や日本で一番高かった七重塔などがあった大寺院でしたが、戦乱や火災等で多くが焼失しましたので、つい数十年前までは五山の中では観光客が一番少なかったように思います。近年、相国寺の中に承天閣美術館が作られ、相国寺・金閣寺・銀閣寺の寺宝が集められて展示されています。折しも、相国寺と縁の深かった江戸時代の画家・伊藤若冲(じゃくちゅう)が見直されて、日本中に大ブームを起こし、若冲の作品見たさに観光客も増えているようです。ちなみに、作家の水上勉も、相国寺に小坊主として住み込んでいて、後年この寺を舞台に「雁の寺」を書きあげています。
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南門から寺の周囲を回り込んで 相国寺・東門 へと出ました。この塀と相対するように東側は民家となっていて、私の実家がありました。相国寺まで1分、同志社まで3分、京都御所まで4分と遊び場には困りませんでした。私たちが住んでいた家は、今は取り壊されて、空き地(駐車場)となっていました。東門の角地には交番があったのですが無くなりました。よく巡査をからかっては怒らせるのが、ワルガキたちの楽しみでもありました。
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東門から相国寺に入ります。建物も風景も昔と変わりません。唯一つ、土の道だったのが、今は敷石が敷き詰められていました。
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鐘楼。このあたりはヤンチャ坊主たちのカクレンボや虫捕りの格好の場所でした。
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右手は相国寺の庫裡(宗務本所)、左手は方丈。この広場で、夏は星空を見上げながら巡回映画会が開催されたり、境内のいたる所で
数え切れないくらい、東映や大映の時代劇の撮影が行われていました。
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仏殿跡
生垣に囲まれるように綺麗に整備されていました。ここで私たち男子は毎日、学校から帰るとソフトボールに興じていました。今、ここでキャッチボールでもしようものなら、大目玉を食らうでしょう。
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相国寺の境内図には、この池の名前が記されていませんが、子供の頃はハスが沢山生えていましたので 蓮池 と呼んでいました。夏はトンボや小鮒などを捕って遊んでいました。今は柵が施されて中に入れませんが、色々の品種のハスの鉢がずらーっと並んでいて、蓮池の名残りを感じました。
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相国寺南門から退出して御所までの短い道路脇にある 同志社アーモスト館 です。同志社は米国のアーモスト大学と提携していて、当時はオーティス・ケーリさんが館長で、ケーリさんの子供たちも私たちの遊び相手でした。
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今出川通りの 同志社・正門 です。土曜日でしたが学生が多かったので中に入ってみました。
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EVE祭(学園祭)で、学生たちの屋台が沢山出ていました。右手の建物はクラーク記念館。今はコンクリートの地面にレンガ模様の建物ばかりですが、当時は空き地が多くて、食糧難の戦後の名残なのか、畑があってネギなどの野菜が植えられていて、そこに集まる蝶々や虫を捕るのに私たちは構内を走り回っていました。
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烏丸通りに面した同志社・西門から退出です。EVE祭のアーチが架かっていました。同志社の敷地は幕末から明治初期には、薩摩藩の京都屋敷でした。
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烏丸通りの京都御所・乾(いぬい)御門から御所の中に入って散策です。遠景は大文字山です。御所には広大な広場が色々あって、草野球や自転車遊び、蝉捕り等々、なんでももってこいの遊び場でした。
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乾御門から一つ南側の 蛤(はまぐり)御門。幕末の「蛤御門の変=禁門の変」が有名で、今も銃弾跡が門に幾つか残っています。長州藩が攻めて来て、天皇(御所)に向けて砲弾を撃ち込んだのを、会津藩や薩摩藩それに新撰組などが反撃して追い返しましたが、敗れた長州藩は京都の町に放火し焼け野原にして逃げ帰ってしまいました。にっくき岩倉具視と長州藩です。と、トリトメのない思いを馳せていたところで、もうお昼になってしまいました。
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この蛤御門の前が、クラブOB会会場の 京都平安ホテル です。京都では中規模のホテルですが、米国の日本庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」(JOJG)で、日本全国900ヶ所の庭園の中から「日本庭園ベスト5」に4年連続ランクインしている、庭園が素晴らしいところです。本日の参加者は全国各地から80数名が集まりました。飲食や雑談、学生時代の思い出をネタにしたクイズなどで存分に楽しんだあとは、お決まりの校歌に続いて‥
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応援歌、
学生歌、寮歌等が、幹事さんが準備してくれた現役の応援団・チアガールの映像に合わせて流れます。
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お互い肩を組んでの大合唱で幕を閉じました。同期の友人たちに先輩や後輩を交えて、夕闇迫る中を二次会へと町に繰り出しました。福岡から駆け付けた親友が、京都で2泊するとのことで、明日も一緒に京都市内を巡ることを約して、帰途につきました。
京都歩きの続きは次回に。