オオムラサキ。昭和32年に日本昆虫学会により国蝶に選ばれました。選ばれた理由は 模様の美しさや優雅な飛び方とともに、全国に分布し、だれもが簡単に見られること が主な選定理由でした。しかし今では、環境省カテゴリ:準絶滅危惧(NT)で、全国41都道府県で絶滅危惧種に指定され、自生地は限られ、簡単には見られない希少な蝶となりました。オオムラサキに久しぶりに会いたくて、 6月下旬に明日香村を訪ねました。
オオムラサキ(大紫)の雄。タテハチョウ科オオムラサキ属の蝶の一種。全国の山地や雑木林に生息する大型のタテハチョウで、雄は翅を広げると10cmほどで、翅の表側は美しい青紫色に輝いています。成虫は年に1回だけ6-7月に発生します。
オオムラサキ(大紫)の雄。タテハチョウ科オオムラサキ属の蝶の一種。全国の山地や雑木林に生息する大型のタテハチョウで、雄は翅を広げると10cmほどで、翅の表側は美しい青紫色に輝いています。成虫は年に1回だけ6-7月に発生します。
オオムラサキの雌。雌は12cm程と雄よりも一回り大きく、丸みを帯びており、青紫色はなく全体に茶褐色です。
オオムラサキのペア。雄と雌が一緒にいると大きさの違いもよく分かります。
オオムラサキの翅裏模様。翅裏の色は白色ないしベージュ色で、後翅のオレンジ色の斑点が特徴です。
明日香村周辺にはオオムラサキが見られる施設が以前から2ヶ所ありました。1つは「国営飛鳥歴史公園館」の一角にあるオオムラサキの飼育場で、里山クラブのボランティアさんが世話をして、羽化すると毎年6月中旬頃にすべて一斉放蝶されます。ただ飼育舎も小さく、細かいネットで覆われていますので蝶の写真を撮るのは無理です。
もう1つは明日香村に隣接する橿原市の「橿原市昆虫館」で、ここでは沖縄のオオゴマダラやアサギマダラを中心に年中10種以上500頭の蝶たちが大きな放温室内で飛び回っています。オオムラサキは6-7月のみ見られます。
そうした環境の中で、オオムラサキに魅せられた某氏が、新たに明日香村に 「ちょうちょランド」と云うオオムラサキ専用の新しい施設を立ち上げられましたので、訪ねてみました。今年は1500匹が羽化し全国一の養殖地となっています。有名な山梨県の「北杜市オオムラサキセンター」では年間500-600匹の羽化数で「オオムラサキは幼虫から成虫まですべてのプロセスで飼育が難しい。千匹以上も羽化させる事例は他に聞いたことがなく本当にすごい」とセンターのスタッフさんも絶賛されています。左端の大きなビニールハウス内でオオムラサキと交流できます。ここで羽化したオオムラサキの一部は、先述の橿原市昆虫館でも公開されています。
★オオムラサキは何故減少したのか
京都府のレッドデータブックには、本種が急激に衰亡した原因として、概ね以下のような記述が見られます。生息するためには幼虫の食樹となるエノキだけでなく、成虫の餌となる十分な量のクヌギやナラなどの樹液の供給が必要なので、ある程度大きな雑木林が必要だと考えられる。そのため、開発などに伴う大規模な雑木林の消滅だけでなく、小規模な伐採が繰り返されて起こる雑木林の分断化も、本種の生息には脅威となっている。また、幼虫は林床の落葉の下で越冬するため、公園のような場所が発生地となっている場合、落葉を残しておくといった配慮も不可欠である、と。
★オオムラサキの一生
エノキの葉に産み付けられた卵は、約6-10日でふ化します。
ふ化したばかりの幼虫は1齢幼虫と云います(*画像をクリックしますと拡大します)。以後、脱皮するごとに2齢、3齢と呼び、4齢幼虫になる頃には気温が低くなり、食欲もなくなり体色も緑色から茶褐色(落ち葉と同色)となり、地面に降りてエノキの落ち葉の下で越冬します。そしてエノキの葉が芽吹き始める4月中旬頃から、活動を再開した4齢幼虫はエノキの木に登り、茶色の殻から脱皮して緑色の5齢幼虫となり、そして6齢幼虫(終齢幼虫)へと成長します。十分に成長した6齢幼虫はエノキの葉裏でサナギとなり、6月頃から羽化が始まります。ちなみに、オオムラサキの蛹は、触れると体をブルブルと震わせる反応をしますので、ビックリしますよ。
成虫が見られるのは一年のうち6-8月(夏)の間のわずかな期間だけです。成虫はその間に交尾・産卵を行い、次の世代へと命を繋ぐのです。
ハウス内の成虫の餌場。幼虫の餌となるエノキはハウス内にも何本も植えられていますが、成虫の餌はクヌギなどの樹液なので、繁殖に必要な量の確保は容易ではありません。「某飲料を発酵させたものとバナナとの混合餌を与え、すべての成虫がみんな好んで吸っています」とのことで、ハウス内には2ヶ所の餌場が設置されていました。この成虫の餌の開発に成功したのは凄いことです。令和4年に飼育ハウスを設置。ちょうちょランドが更に充実・発展するよう、クラウドファンディングで建設費や餌代の支援を呼び掛けたり、TVや新聞の取材に積極的に対応したり、ユーチューブなどSNSでは動画を今も発信し続けておられます(彼がオオムラサキに惹かれ、当時のオオムラサキ飼育の達人のもとで修業し、やがて堺市から橿原市内に移り住み、更には脱サラを決意し、オオムラサキの繁殖に一生をかけるようになった経緯は省略させていただきました)。
オオムラサキが頭や肩や手に止まってくれると、大人も子供も大喜びで写真を撮っていました。
ハウス内には、羽化したものや、これから羽化するものなど、蛹の大行列です。
私たちが訪ねた2日後に、某全国紙・大阪版の夕刊トップニュースで報じられた「ちょうちょランド」の記事です(*画像をクリックしますと拡大します)。
彼自身がユーチューブなどで全国のオオムラサキ・ファンなどに支援をお願いしてるチラシです。当ブログも陰ながら彼を応援したく掲載させていただきました。
オオムラサキのペア。雄と雌が一緒にいると大きさの違いもよく分かります。
オオムラサキの翅裏模様。翅裏の色は白色ないしベージュ色で、後翅のオレンジ色の斑点が特徴です。
明日香村周辺にはオオムラサキが見られる施設が以前から2ヶ所ありました。1つは「国営飛鳥歴史公園館」の一角にあるオオムラサキの飼育場で、里山クラブのボランティアさんが世話をして、羽化すると毎年6月中旬頃にすべて一斉放蝶されます。ただ飼育舎も小さく、細かいネットで覆われていますので蝶の写真を撮るのは無理です。
もう1つは明日香村に隣接する橿原市の「橿原市昆虫館」で、ここでは沖縄のオオゴマダラやアサギマダラを中心に年中10種以上500頭の蝶たちが大きな放温室内で飛び回っています。オオムラサキは6-7月のみ見られます。
そうした環境の中で、オオムラサキに魅せられた某氏が、新たに明日香村に 「ちょうちょランド」と云うオオムラサキ専用の新しい施設を立ち上げられましたので、訪ねてみました。今年は1500匹が羽化し全国一の養殖地となっています。有名な山梨県の「北杜市オオムラサキセンター」では年間500-600匹の羽化数で「オオムラサキは幼虫から成虫まですべてのプロセスで飼育が難しい。千匹以上も羽化させる事例は他に聞いたことがなく本当にすごい」とセンターのスタッフさんも絶賛されています。左端の大きなビニールハウス内でオオムラサキと交流できます。ここで羽化したオオムラサキの一部は、先述の橿原市昆虫館でも公開されています。
★オオムラサキは何故減少したのか
京都府のレッドデータブックには、本種が急激に衰亡した原因として、概ね以下のような記述が見られます。生息するためには幼虫の食樹となるエノキだけでなく、成虫の餌となる十分な量のクヌギやナラなどの樹液の供給が必要なので、ある程度大きな雑木林が必要だと考えられる。そのため、開発などに伴う大規模な雑木林の消滅だけでなく、小規模な伐採が繰り返されて起こる雑木林の分断化も、本種の生息には脅威となっている。また、幼虫は林床の落葉の下で越冬するため、公園のような場所が発生地となっている場合、落葉を残しておくといった配慮も不可欠である、と。
★オオムラサキの一生
エノキの葉に産み付けられた卵は、約6-10日でふ化します。
ふ化したばかりの幼虫は1齢幼虫と云います(*画像をクリックしますと拡大します)。以後、脱皮するごとに2齢、3齢と呼び、4齢幼虫になる頃には気温が低くなり、食欲もなくなり体色も緑色から茶褐色(落ち葉と同色)となり、地面に降りてエノキの落ち葉の下で越冬します。そしてエノキの葉が芽吹き始める4月中旬頃から、活動を再開した4齢幼虫はエノキの木に登り、茶色の殻から脱皮して緑色の5齢幼虫となり、そして6齢幼虫(終齢幼虫)へと成長します。十分に成長した6齢幼虫はエノキの葉裏でサナギとなり、6月頃から羽化が始まります。ちなみに、オオムラサキの蛹は、触れると体をブルブルと震わせる反応をしますので、ビックリしますよ。
成虫が見られるのは一年のうち6-8月(夏)の間のわずかな期間だけです。成虫はその間に交尾・産卵を行い、次の世代へと命を繋ぐのです。
ハウス内の成虫の餌場。幼虫の餌となるエノキはハウス内にも何本も植えられていますが、成虫の餌はクヌギなどの樹液なので、繁殖に必要な量の確保は容易ではありません。「某飲料を発酵させたものとバナナとの混合餌を与え、すべての成虫がみんな好んで吸っています」とのことで、ハウス内には2ヶ所の餌場が設置されていました。この成虫の餌の開発に成功したのは凄いことです。令和4年に飼育ハウスを設置。ちょうちょランドが更に充実・発展するよう、クラウドファンディングで建設費や餌代の支援を呼び掛けたり、TVや新聞の取材に積極的に対応したり、ユーチューブなどSNSでは動画を今も発信し続けておられます(彼がオオムラサキに惹かれ、当時のオオムラサキ飼育の達人のもとで修業し、やがて堺市から橿原市内に移り住み、更には脱サラを決意し、オオムラサキの繁殖に一生をかけるようになった経緯は省略させていただきました)。
オオムラサキが頭や肩や手に止まってくれると、大人も子供も大喜びで写真を撮っていました。
ハウス内には、羽化したものや、これから羽化するものなど、蛹の大行列です。
私たちが訪ねた2日後に、某全国紙・大阪版の夕刊トップニュースで報じられた「ちょうちょランド」の記事です(*画像をクリックしますと拡大します)。
彼自身がユーチューブなどで全国のオオムラサキ・ファンなどに支援をお願いしてるチラシです。当ブログも陰ながら彼を応援したく掲載させていただきました。
コメント
コメント一覧 (6)
コメント有難うございます。
当地でオオムラサキが見られなくなって久しく、明日香村でオオムラサキ専用の飼育場が出来たと聞いて、行ってみました。オオムラサキ一途の人のようで、たちまち全国一の繁殖数を達成した、その意気込みに惚れました。
ずっと前はオオムラサキに会えていたのですが、最近はさっぱりで久しぶりにきれいな姿を見せて頂きありがとうございます!
この鮮やかな青と黒の対比が美しいですね(*^^*)
繁殖のむずかしいオオムラサキをそんなにも増やした熱意もすごいですね。
全国どこでも見られることも国蝶選定の理由の一つだったのですか、もう夢物語なのでしょうね・・。
コメント有難うございます。
仰る通り、当地も全く同じ状況で、以前は里山で普通に見られましたが、もう何年も見ていないので、明日香村のホット・スポットを訪ねてみました。やはりオオムラサキの青紫色は美しいですね。この人はまだ40歳なので、何年かすると「ちょうちょランド」も発展して様変わりしているのを期待したいです。社会の大きな様変わりや地球温暖化などで「国蝶」の定義も見直す時期が来ているのかも知れませんね。
コメント有難うございます。
当地でも、7-8年前までは、里山のクヌギ林でも時々オオムラサキが見られましたが、住民の高齢化で里山は荒れ放題、クヌギ林も古木化して樹液も出なくなり、蝶が見られなくなりました。明日香村に新しくオオムラサキ専用の飼育場が出来たと聞いていたので、見学に行ってきました。